「地の龍って、知ってる?」
龍鳴山に向かって歩きながら健吾が言った。
康平と二人揃って「知らない」と言うと、健吾はカバンから一冊の本を取り出した。タイトルには『大和龍神伝説』と書いてある。
「太古の昔。人間が現れるよりも前、この世界には大いなる存在がいたんだ」
「大いなる存在?」
健吾が開いたページには様々な生き物の絵が描かれていた。
「要するに、神様の事だと思う。ある時、大いなる存在は子を産み落とした。それが地の龍と呼ばれる存在なんだ」
健吾は一匹の龍を指差した。
「地の龍は大地の守り手であり、生きとし生けるものを救う存在なんだ」
次に開いたページには地の龍が様々な怪物と戦う絵が載せられていた。
「地の龍には多くの敵がいたんだ。その中には……」
「これって……」
怪物達の傍には文字があり、その内の一体の文字には見覚えがあった。
そこには|亜竜覇《あるゔぁ》と記されている。
「うん! 守護神・羽竜牙が贄守の巫覡と共に打ち倒した破壊神の事だよ! 長い戦いの末、地の龍は勝利した。だけど、地の龍も深い傷を負ってしまったんだ」
そう言って、健吾は倒れ伏した龍の絵を見せてきた。
「この姿、何かに似てると思わない?」
「え? なにかって……」
「もしかして……、日本か?」
康平の言葉に「大正解」と健吾は笑みを浮かべた。
「そうなんだよ。倒れ伏した地の龍の体の上に木々が生え、生き物が生まれ、やがて人が現れ、永い歴史の果てに日本と呼ばれるようになるんだ!」
地面を見る。そこにはコンクリートで見事に舗装された道路がある。それに、高層ビルを建てる時は地下深くまで穴を掘って杭を打ち込むと聞いた事がある。もしも、この地面の下が巨大な生き物の体だとしたら、そうとうエグい事になっている気がする。
「それで……、日本が龍の体って事と、龍鳴山の話がどう繋がるんだ?」
「それを今から話すんだよ。二人は龍脈っていう言葉を知ってる?」
「ああ、それなら聞いた事があるぞ!」
ジジィから聞かされた事がある。
「大地を流れる力の流れの事だろ」
「力の流れ?」
康平はチンプンカンプンのようだ。まあ、龍脈なんて言葉は宗教や占いを齧っていない限り、そうそう耳にする単語じゃないから仕方がない。
「分かり易く言うと、龍脈は文字通り、龍の脈なんだ。要するに、血管。その中を流れるものを気とか、魔力と呼ぶのさ。そして、その力が吹き出す場所を龍穴と呼ぶんだけど、龍鳴山はその龍穴の一つなんだ」
ようやく話が繋がってきた。
「今から千年も昔、龍穴に溜まった地の龍の力が良くないものと混じり合い、禍々しい龍神と化して人々の命を脅かした。その時、一人の陰陽師が立ち上がった。それが、贄守家の祖である贄守忠久なんだ」
贄守忠久。その名前は、それこそ耳にタコが出来るくらいジジィから聞かされている。
「忠久は龍神に立ち向かい、一度は破れて生死の境を彷徨う事になる。その時、龍穴を通じて地の龍の意志と同調し、地の龍の言葉を聞くんだ。そして、龍脈を通り、南海の王の力を借り、『楽園』へ辿り着く。そこで、守護神・羽竜牙と出会うんだ」
詳しいな、健吾。仮にも、忠久の子孫であり、贄守神社の倅であるオレなどよりもずっと詳しい。それに、話し方が上手い。ジジィの眠くなるような説明とは雲泥の差だ、ついつい続きが気になってしまう。
「忠久は島の小さき者達から『捧げの舞い』と『祈り歌』を授けられ、守護神・羽竜牙と共に龍神を打ち倒した。そして、彼は共に戦い、人々を救ってくれた守護神・羽竜牙を祀るための神社を築くんだ」
健吾は立ち止まると、目の前まで来ていた龍鳴山を指差した。
「そういうわけで、ここは守護神・羽竜牙を語る上で欠かせない聖地なわけさ!」
龍鳴山を見る。子供の頃から何度も登った山なのに、そういう逸話を聞くと何だか新鮮だ。
「実は翼のお爺さんから贄守神社に伝わる秘密の場所を教えてもらったんだ! そこに行ってみようよ!」
「秘密の場所?」
オレは聞いた事がない。それなのに、昨日初めて家に来た健吾に教えるとは、贄守神社の事に興味津々な健吾の態度はジジィの琴線にいたく触れていたのだろう。帰ったら、もう少しちゃんと聞いてあげた方がいいのかもしれない。寂しい思いをさせていたのかと思うと、少し心が痛んだ。
「どの辺にあるんだ?」
「山の中腹にある龍鳴寺の裏から入れるんだって。許可を取ってくれたみたいで、寺の人に言えば通してもらえるってさ」
「秘密の場所っていうか、一般公開されていない場所って感じか」
そう聞くと、なんだかワクワクしてきた。早く見てみたいから、登山道ではなくロープウェイの乗り場に向かう。地元の子供は無料で乗れるから、学生証を出しておく。
ロープウェイから見える街の景色は中々のものだ。
『本日も龍鳴山山頂行きロープウェイの御搭乗、誠にありがとうございます。このロープウェイからは天見市の全景をご覧いただく事が出来ますので、是非とも楽しんで行って下さい』
スピーカーから流れるアナウンスを聞きながら中腹にある中継所で降りる。ここから龍鳴寺までは目と鼻の先だ。少し歩くと、顔見知りが駆け寄ってきた。
「ああ、翼くん。久しぶりだね」
スキンヘッドなのに顔立ちがやたらと凛々しくてカッコイイ|赤羽幸人《あかばね ゆきと》さんは龍鳴寺の修行僧だ。
神社と寺はそもそも宗教自体が違う筈なんだけど、何故か贄守神社と龍鳴寺は少なからず交流がある。オレは遠足の時に来る程度だけど、ジジィは月に一度足を運んでいるし、寺の僧が遊びに来る事もある。幸人さんには子供の頃からよく遊んでもらった。
「話は聞いてるよ。鬼門の先に行きたいんだよね?」
「鬼門?」
「陰陽道の用語で、鬼が出入りする不吉な方角の事だよ」
「え……、そんなところに行くのか?」
あんまりホラーや怪談は得意じゃない。
「はっはっは! 翼くんは相変わらず怪談が苦手みたいだね。大丈夫だよ。鬼門なんて言っても、実際は単なる洞窟の入り口なんだ。俺は入った事がないけど、住職や梁兼殿が何度か入っていく姿を見た事があるよ。もちろん、二人共ピンピンしてる。怖いお化けにあった様子も無いよ」
「べ、別に怖がってるわけじゃないよ」
「そうかい? それは悪かったね。なら、折角だから鬼門に入る前に怪談でも一つ」
「幸人さん!」
睨みつけると幸人さんは「おっと、怒られてしまった」と笑いながら鬼門とやらの場所まで案内してくれた。相変わらず、もういい歳の筈なのに子供みたいな性格の人だ。
チラホラといる観光客を尻目に寺の裏手に来ると、そこには大きな門があった。
「あっ、これ……」
「守護神・羽竜牙の紋章だ!」
門の中心には円に囲まれた大樹の紋章が刻まれていた。
「そうだよ。贄守神社が祀っている神様の紋章。これは龍鳴寺が出来る前からここにあったものなんだ。その関係で、仏教と神道の垣根を越えて、龍鳴寺と贄守神社は古くから交流を深めてきたんだ……って、溝口さんが言ってた」
|溝口将人《みぞぐち まさと》さんはうちによく来る僧の一人で、幸人さんよりも年配の人だ。まるで鬼のように怖い顔の人だから、オレは少し苦手意識を持っている。幸人さん曰く「割りと愉快な人」らしいけど、愉快な面なんて一度も見た事がない。
「それじゃあ、行こうか」
門を開くと、幸人さんが言った。
「え? 幸人さんも行くの?」
「子供だけで洞窟探検は危険だからね。一本道だし、そんなに深くないみたいだけど、念のために同行するよ」
当然といえば当然だ。
「はやく行こうよ!」
うずうずした様子で健吾が言った。
「お、おう」
洞窟の先を見る。一応、光源のようなものはあるみたいで、それなりに明るい。
だけど、鬼の出入りする場所と聞くと尻込みしてしまう。
「怖いなら手でも繋ぐか?」
「こ、怖くなんてねーよ!」
つい、意地をはってしまった。すると、康平はすぐ傍まで体を寄せてきた。
「行こうぜ」
「……お、おう」
情けないけど、やっぱり安心する。子供の頃から、康平には事ある毎に助けられてきた。頼りになるから、頼りすぎないように我慢するのが大変だ。
……とはいえ、今はちょっと頼らせてもらおう。
「ほら、二人共! はやく行こうよ!」
いつの間にか、健吾と幸人さんが先に行ってしまっていた。
「行くぞ、翼」
「お、おう!」
康平に手を引かれ、慌てて追いかける。結局、その後は手を繋ぎっぱなしだった。
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