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執筆者の写真雪女 雪代

エピローグ『偉大なる死』

 夢を見た。

 両親に愛されて育ち、友達と遊ぶ日々。

 

「……違う。これは現実だ」


 両親も、育ててくれた祖父も、自分自身の存在さえ嘘だった偽りだらけの人生こそ夢になった。

 都心の閑静な住宅街。そこがオレの新しい居場所となった。

 アイフォンがあって、ユーチューブがあって、ラーメンがあって、キリスト教が世界最大の宗派として名を馳せている。

 一見すると、前の世界と何も変わらない。だけど、やっぱり違う。


 この世界には、康平がいない。

 この世界には、健吾がいない。

 この世界には、レオがいない。


 オレにとって彼らはすべてだった。それこそ、自分自身の命とさえ秤にかけても重すぎる存在だった。

 

「|柚希《ゆずき》。そろそろ寝なさい」


 窓から月を眺めていたら母が部屋を覗き込んできた。


「寝られないならホットミルクでも作ってあげようか?」

「……うん! おねがい!」


 母は優しい人だ。それに、料理が上手。愛情というスパイスの存在をはじめて実感した。

 父は寡黙だけど、いつも夕食の席でオレの話を聞く事を楽しみにしてくれている。時々、オレがテレビに熱中していると寂しそうな視線を向けてくる。可愛い人だ。

 この二人に愛されて、不幸を嘆くなど許されるはずがない。だけど、寂しくて仕方がない。気を張っていないと、涙が溢れてしまう。

 幼い頃、その為に両親をずいぶんと心配させてしまった。


「……会いたい」


 試しに、贄守神社をネットで調べてみた。だけど、そんな神社はどこにもなかった。

 それどころか、龍鳴寺や龍鳴山はおろか、オレが生まれ育った村も存在していなかった。

 坂巻健吾や岩崎康平の名も見つからない。


「ツイッターかインスタくらい、やっとけよ……」


 どこかにいる筈だ。そんな望みを捨てきれずにいる。

 母が持ってきてくれたホットミルクを飲みながら、学校の宿題を済ませて布団に潜る。


「……ウルガ ウルリヤ」


 嘗て、レオの為に唄った祈りの歌を自分を慰める為に唄う。

 

「カム アダラフ ケカシフク。サヤ メメリハラ デンガン ケドゥア、オラン ツア ダン イカタ サヤ」


 唄うのは初めてではなかった。

 もしかしたら、そう思って何度も唄った。だけど、どんなに思いを篭めて唄っても何も起こらなかった。

 今のオレは羽川柚希。贄守翼じゃない。

 もう、オレには……、


 ―――― ああ、ようやくだ。


『え?』


 気がつくと、オレはいつかの姿に変わっていた。

 十四年ぶりの感触だけど、間違いない。今のオレは幽体離脱をしている。

 そして、目の前には求め続けていた存在がいた。


『……こう、へい?』

『よう! 久しぶりだな』

 

 まるで、ほんの数週間振りに会うかのような気軽さで、康平はオレに笑いかけた。


『久しぶりって……、今まで何処にいたんだよ! インスタくらいやっとけよ! っていうか、せめてオレの名前をググれよ! 贄守翼でツイッターとかやってたんだぞ! お前や健吾が気付いてくれるように!』

『いや、そう言われてもな……。こっちは寝起きなんだから、勘弁してくれよ』

『寝起き……?』


 康平は肩を竦めた。


『お前の唄で起きたんだ』


 康平はオレの手を掴んだ。


『行こうぜ。レオが待ってる』

『レオが!?』


 康平はオレの手を引っ張りながら言った。


『オレとレオは兄弟だ。そんで、オレ達はどっちもお前が好きだ』

『……ふ、ふーん』


 相変わらず、サラッと爆弾発言をかますヤツだ。


『だから、オレだけフライングするわけにもいかなかった。同情ってか、恩義ってか、まあ、いろいろあってな』

『い、意味が分からないんだけど』

『……兄弟だけど、オレは人間だ。だから、生きられる時間は短い。だから、ずっと守られてきた。おかげで、あいつの時間だけが削られていった』

『どういう意味だ……?』

『こういう意味だ』


 康平が立ち止まった。そこは神殿の最奥。レオの卵があった場所であり、いつもレオがいた場所。

 レオは今もそこにいた。


『レオ……?』


 崩れ落ちそうになった。

 美しかった翼は萎れ、嘴はひび割れ、そのクリクリとした愛らしい瞳は色あせていた。

 嘗ての漲るような覇気は微塵も感じられない。

 

「キュー」


 弱り果てたレオはそれでも嬉しそうに鳴いた。

 

『レオ!』


 居ても立ってもいられなくなり、オレはレオに縋り付いた。

 何年だろう。どれほどの永い歳月を待たせてしまったのだろう。

 生まれたばかりの赤ちゃんだったのに、戦わせて、戦わせて、背負わせて、守らせて……、その上……、


「キュー」


 レオの命が終わろうとしている。オレと出会う為に耐え忍び続けてきたのだろう。本当なら、とうの昔に寿命を迎えていた筈だ。

 嫌だ。死なないでくれ。そんな言葉が口元まで迫ってくる。

 だけど、言える筈がない。


『レオ……。待っていてくれて、ありがとう』


 レオは限界だ。もう、これ以上は生きられない。それなのに、最期の瞬間を悲しみで終わらせる事など出来ない。


『ウルガ |君はウルガ《ウルリヤ》』


 だから、唄おう。舞い踊ろう。

 偉大なる魂に祈りを捧げよう。


『|愛しきモノよ《カム アダラフ ケカシフク》。|共に育みし絆を胸に《サヤ メメリハラ デンガン ケドゥア》、|わたしは祈る《オラン ツア ダン イカタ サヤ》』


 脳裏に浮かぶのはレオとの出会い。

 生まれたばかりの赤ん坊はとても甘えん坊だった。


『|あなたの幸福を《ケバハギア アンダ》、|あなたの未来を《マサデハン アンダ》、|あなたの生を《ヒドゥフ アンダ》』


 けれど、赤ん坊は勇敢だった。

 守るため、救うため、恐ろしき魔獣に果敢に立ち向かい、敗北しても尚、抗う心を失わなかった。

 

『|あなたの傷はわたしのもの《ルカム アダラフ ミリク》。|あなたの痛みはわたしのもの《ラサ サキトム アダラフ ミリク》。|あなたの怒りはわたしのもの《ケマラハンム アダラフ ミリク》』


 一緒に空を飛び、一緒に海を潜り、一緒に戦った。

 時間にしてみれば、あまりにも短くて、あまりにも尊い日々だった。


『|偉大なる魂を持つものよ《アンダ メミリキ ジワ ヤン ヘバト》。|掛け替えのない魂を《アンダ メミリキ ジワ ヤン》|持つものよ《チダク ダパト アンダ ウバフ》』


 世界を救ってくれたレオをオレは救う事が出来ない。

 それが辛くて、苦しくて、涙が溢れてしまいそうになる。

 

『|我が魂をあなたの傍に《セライン ディリム ジワク》』


 レオの体が崩れて行く。けれど、レオは嬉しそうに「キュー」と鳴いた。

 

『レオ……』


 レオは死んだ。

 まるで、はじめから居なかったかのようにそこには何も残っていない。

 崩れた筈の肉体の欠片さえ、どこにもない。


『レオ……。レオ……。レオ……』


 感情が抑えきれない。涙は止まらず、口からは声にならない叫び声が出続ける。

 温かいものに包まれて、それが康平だと分かると、オレは縋り付いた。

 しがみついていないと、どこか深い闇の底へ沈んでしまいそうだった。

 

 ◆


 目を覚ますと、オレはベッドで横になっていた。


「……康平?」


 部屋には誰もいない。


「ヤダ……」


 部屋を飛び出した。

 母の声にも耳を貸さずに家を出て、必死に走った。

 どこを目指しているのかも分からない。寝巻きのまま、靴も履かずに、好奇の視線に晒されながら、ひたすら足を動かし続けた。


「康平……。康平……。康平……!」

「あいよ」


 温かいものに包まれた。

 顔をあげると、そこには求め続けた少年の顔があった。

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