気がつくと、不思議な場所にいた。雰囲気的にはテレビで観た外国の聖堂のようだけど、あちこちに植物が生えている。目の前には巨大な台座があって、その上には、これまた巨大な卵がある。動物園で観たダチョウの卵なんて比較にならないほど大きい。大型のワゴン車がまるまる一台入っていそうなサイズだ。
卵には罅が入っていて、徐々に亀裂が大きくなっていく。
「キュピィ!」
殻が割れて、中から巨大なヒヨコが現れた。体をクネラせながら、キョロキョロとあたりを見回している。
「キュー! キュッキュー!」
初めて見る外の世界に興奮しているようだ。とんでもないサイズだけど、なんとも愛らしい姿をしている。
「キュキュ! キュイ!」
ヒヨコはオレの存在に気付いたようだ。嬉しそうに体を揺らしている。
「嬉しそう……? あれ? なんで、オレはコイツの気持ちが分かるんだ?」
「キュ?」
そもそも、この状況は何なんだろう。夢とは思えない。試しに自分の頬を抓ってみたら、ちゃんと痛かった。
「キュイ?」
「大丈夫かって? ああ、大丈夫だよ」
「キュ!」
なんだか、どんどん可愛く見えてきた。
「おい、ヒヨコ。お前は何者なんだ?」
「キュ?」
「……だよな。生まれて来たばっかりだもんな」
ヒヨコ自身も自分の事が分かっていないようだ。
「ヒヨコって呼び方もアレだよな。よーし、オレが名前をつけてやる! そうだな……」
出来ればカッコいい名前を付けてやりたい。
「よーし、決めた! 今日からお前はレオだ!!」
完全にフィーリングで決めた。
「キュイ?」
「レオだよ。レ・リュ・シ・オ・ン! お前のこと!」
「キュ? キュキュ!」
よく分かっていないなりに嬉しそうだ。
「キュイキュイ」
「え? オレのこと?」
「キュ!」
「オレは翼だよ。贄守翼」
「キュー!」
「はは、そうそう」
何故だろう。いつの間にかこんな場所にいて、目の前には巨大な怪物がいるのに、恐怖が湧いてこない。焦る気にもならない。むしろ、オレは安心している。
レオと話しながら聖堂内を歩き回ると、見覚えのある図形を見つけた。円に収まる大樹の文様。たしか、健吾が『ウルガの紋章』だと言っていた。その周りには、ジジィに仕来りだと教え込まれた古代の文字が刻まれている。
「えっと……、『大いなる炎を宿せし偉大なる魂よ。永久不滅にして、平和をもたらす神獣よ。その輝きで禍々しき者共を打払いたまえ。暗黒を引き裂きたまえ。卑しき我らを導きたまえ。代わりに我らは――――』っと、こっから先は読めないな」
レオを見上げる。
「……ウルガなのか?」
「キュイ?」
ウルガは竜の神様だとジジィが言っていたけれど、そう言えば鳥は恐竜から進化した生き物だと聞いた事がある。よくよく見てみると恐竜に見えなくもない気がする。
「……ウルガ。だったら、レオって名前は余計だったかな」
「キュ! キュイキュイ!」
「え? レオでいいのか?」
「キュ!」
「そっか……。そっかー」
レオに近寄る。思ったより、臭くない。むしろ、森のようないい香りだ。
「レオ……」
レオに触れようと手を伸ばした時、急に足音が聞こえた。
「そんな! まさか、もう孵化したのか!」
「え?」
入って来たのは武装した集団だった。
「な、なんだよ、お前ら!」
質問に対する答えは返って来ない。まるで、オレの存在に気付いていないかのように、彼らの視線はレオに向かっている。
「ウルガ! 我々は特定災害対策局の者だ! エルミ殿とマリアナ殿、そして先代殿と共に戦った者だ! どうか、我らに力を貸していただきたい!」
「キュ?」
オレもこいつらが何を言っているのか分かっていないけど、レオはオレ以上に理解していない。むしろ、急に二人の空間に割り込んできた集団に怒っている。
「キュキュ! キュイキュイ!」
レオは出て行けと言っているのに、集団のリーダーらしき男は「おお、力を貸してくださるのですね!」と何やら勘違いを始めた。
「キュキュ!」
「敵は既に近海まで来ております! 先代殿の決死の攻撃を受けていながら、生きていたのです、あのアルヴァは!」
アルヴァ。たしか、遙か昔に守護神が戦った破壊神の名前だ。
「キュゥ! キュゥ!」
いいから帰れと叫んでいるレオ。聞く耳を一切持っていない。
「さあ、我らと共に参りましょう! 日本を共に守るのです!」
さっぱり事情が呑み込めない。とりあえず、レオの怒りを鎮めないとまずい気がした。
「おーい!」
試しに集団の前に躍り出てみたが、やっぱり反応がない。何故か分からないけど、オレの姿が見えていないみたいだ。だけど、レオには確りと見えている。つまり、オレはたしかにここに存在しているわけだ。
「……まあ、見えないのは好都合かな」
服装は巫女装束のままだ。むしろ、見られていたらとんだ羞恥プレイになっていた。
「レオ。あんまり怒るなよ。オレが踊ってやるからさ」
ジジィに叩き込まれた神楽の一つ、『鎮めの祈り』を披露しよう。
「……ウルガ ウルリヤ」
神楽を舞うと、レオは次第に寝息を立て始めた。どうやら、『鎮めの祈り』が子守唄になったようだ。
「ウ、ウルガ様! どうしたのですか! ウルガ様!」
「お前ら、うるさいぞ! レオは赤ちゃんなんだから、眠ってる時に起こしたら可哀想だろ!」
怒鳴りつけたのに、やっぱり聞こえていないようだ。連中はお構いなしに騒ぎ立てる。だけど、レオの眠りは深いらしい。まったく起きる素振りを見せない。やがて、困り果てた様子で集団は去っていった。
「……おやすみ、レオ」
しばらくすると、意識が遠のき始めた。そして……、
◆
今度は自室で目を覚ました。隣を見ると、何故か胡座をかいた状態で眠っている康平の姿がある。
「……夢だったのかな」
それにしてはやけにリアリティがあった。それに、レオの香りや感触がたしかに残っている。
「レオ……」
不思議だ。もう一度会いたいと思っている。あのキュイキュイという鳴き声を聞きたい。
「……ん、あれ? あっ、翼! 大丈夫なのか!?」
康平が目を覚ましたようだ。らしくないくらい焦っている。
「どうしたんだ? っていうか、なんで座ったまま寝てたんだよ」
「お前がいきなり気絶なんてするからだ! 救急車を呼ぼうとしたのに梁兼の爺さんが駄目だとか言い出しやがって!」
康平がこんなに取り乱しているところを見るのは久しぶりだ。どうやら、ずいぶんと心配させてしまったらしい。それにしても、気絶してたのか、オレ。
「悪かったよ。あんまり怒るなって」
「……怒ってるわけじゃねーよ。とりあえず、大丈夫なんだな?」
「おう! この通りピンピンしてるぜ」
立ち上がってキビキビと動いてみせる。すると、自分が未だに巫女装束を着たままである事に気がついた。
「……とりあえず、着替えるか」
「別に焦って着替えなくてもいいだろ? どうせ、今日は土曜で休みなんだし」
「ってか、風呂に入りたいんだよ」
「だったら、俺も入るよ。また倒れたら大変だからな」
「康平は心配症だな」
うちの風呂は温泉宿並とまではいかないまでも、かなりデカイ。おかげで掃除は大変だけど、のびのびと入る事が出来る。
「そう言えば、健吾は?」
「昨日の内に帰ったよ。翼が起きたら連絡をくれって言ってた」
「そっか。じゃあ、風呂の前に電話しとくか」
着替えとタオルを準備した後、スマートフォンで健吾の携帯に電話をかける。三回目のコールで健吾が出た。
「おっす、健吾! 昨日は悪かったな」
『贄守、大丈夫なの? お爺さんが病院はダメだって言ってたけど……』
「おう、バッチリだ。心配掛けたな」
『ううん。大丈夫ならいいよ。一応、お見舞いに行こうと思って近くまで来てるんだ。行っても構わない?』
「全然構わないぜ! 折角だし、今日は一緒に遊ぼうぜ!」
『いいよ。そうだ! 龍鳴山に行かない?』
おっと、読書家の健吾とは思えないアウトドアな提案。
「いいけど、なんでまた?」
龍鳴山は贄守神社の北にある。この近辺の学校で遠足と言ったら龍鳴山へのピクニックと相場が決まっている。
『あそこは守護神・羽竜牙が龍神を鎮めた伝説の舞台なんだよ』
「ウルガの……」
レオの顔が浮かんだ。
「……オッケー。行ってみようぜ、龍鳴山!」
『うん!』
電話を切った後、康平と一緒に急いでシャワーを浴びた。心配性な康平が終始オレから目を離さないものだから、なんだか居心地が悪かった。
風呂から上がってすぐに朝食の支度をしていると、健吾が到着した。
「おはよう!」
「オッス!」
健吾は朝食を済ませてきていたみたいで、俺達の朝食が終わるまで境内を見て回っていると言った。特に見どころなど無いと思うのだが、朝食の後に外へ出ると、健吾は興奮した様子で走り回っていた。
ちなみにジジィは龍鳴山に行くと言っても止めてこなかった。あれだけ仕来り仕来りとうるさかったのに、どうしたんだろう?
「ボーっとしてないで、行こうぜ」
「あ、うん」
康平に手を引っ張られて、とりあえずジジィの事は脇に置いておくことにした。
なんだかんだで、康平以外の友達と遠出するのは久しぶりだ。
「おい、健吾」
「なに? 贄守」
「いい加減、名字呼びはつれないぜ。翼って呼べよ」
「別にいいよ。特に拘ってるわけじゃないしね」
ガッツポーズを決めた。名前で呼んでくれる友達なんて、それこそ康平以来だ。
「よーし、急ごうぜ!」
「うん!」
「……おう」
目指すは龍鳴山。初級の登山コースはコンクリでキッチリ舗装され、地上から山頂までロープウェイも通っている安全快適な山だ。
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