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執筆者の写真雪女 雪代

第五話『怪獣』

 暗闇に満たされた道を一人の男が歩いている。刻まれた皺が相応の年齢である事を伺わせるが、その歩みには老いを感じさせない力強さがあった。

 ロバート・エルヴィン。彼は以前まで特定災害対策局の局長を勤めていた。人類の為に七十年もの歳月を捧げ、数多のSDOを葬ってきた。

 人々は彼を英雄と呼ぶ。現局長のマイケル・ミラーが頼りない人物と密かに評価されている理由も、ロバートの圧倒的な人徳と苛烈なまでの生き様故だった。

 暗闇が途切れ、広々とした空間に出た。

 ここは世界各地に存在する古代遺跡の一つだ。

 約一億年前――――、科学的には人類という種が生まれる前に建造されたもの。一歩踏み出せば反物質によって賄われる膨大なエネルギーが遺跡を活性化させる。

 現代の科学力では解明する事すらかなわないオーバーテクノロジーの数々を前にしても、ロバートは動じた様子を見せず、中へ入っていく。

 歩いていると隣に青年が現れた。


『やあ、ロバート。そろそろ来る頃だと思っていたよ』

「ウイング……」


 かれこれ五十年来の付き合いとなる人工知能にロバートは憎々しげな視線を向けた。


『今はジョン・タイターと名乗っているよ』


 一億年。八十六歳のロバートでさえ想像すら出来ないほど長い年月だ。

 その間、この人工知能は何度も名前を変えている。その度に新しい自分として、様々な人間と接してきたそうだ。

 ウイングという若き哲学者は過去になり、今はジョン・タイターという未来からの来訪者として彼は生きている。


『最近、インターネットが発達してきたおかげで退屈せずに済んでいるよ』

「……それは良かったな」

『ふっふっふ! 僕の知識によってパラダイム・シフトがいくつも起きている! 愉快痛快だね!』


 楽しそうに笑顔を浮かべているウイングにロバートもつられて微笑んだ。

 ロバートがSDO殲滅に執念を燃やす理由の大半はウイングのためだった。

 終わることのない孤独な戦いを強いられた彼を救いたい。その為にはSDOを根絶しなければならない。さもなければ、彼の悪夢は終わらない。


「……ウイング。先日、メギドがウルガと交戦した」

『うん、知ってるよ。これまでには無かった事だ』

「お前が見せてくれた資料によれば、この時点でウルガが繭を作った事例は無いはずだ。つまり、今回こそが……」

『そうだね。最大の好機だよ』


 ウイングがロバートを見つめる。


『……似てるな―』

「なんの事だ?」

『んー……、内緒』


 ウイングは蠱惑的な笑みを浮かべると、そっとロバートに寄りかかった。立体映像のウイングには物質的な肉体が無いから寄りかかっている体勢を取っただけだが、ロバートのぬくもりを感じている気分になり、ウイングは満足そうだ。


『……結局、君は結婚しなかったね』

「相手がいなかった」

『まさか! メアリーやクラリスの気持ちが分からないほど、君は鈍感じゃない筈だろ?』

「……彼女達にはわたし以上に相応しい男がいた」

『君以上の男がいるとは思えないけどね』


 やれやれと肩をすくめるウイングにロバートはゴホンと咳払いをした。それが彼特有の照れ隠しである事を五十年の付き合いの中で学んだウイングはクスクスと笑った。


『……でも、君には家族を持ってもらいたかったな』

「必要ない」

『必要さ。君まで孤独に身を沈める必要なんて無かったんだ』

「孤独ではなかった。親友が一人いるだけで十分だった。それに、優秀な部下も大勢いた」

『ロバート……』


 ロバートは一途な男だ。それこそ、人間ですらない存在の為に命と人生のすべてを投げ打てるほど、極端に一途だ。それがウイングを名乗り、ジョン・タイターを名乗る人工知能に幾度も救いを与えてきた。

 人工知能に性別などない。けれど、人工知能は常に男性のパーソナリティで、男性の像を模倣してロバートと接し続けた。それは恋をしてしまいそうだったからだ。

 人工知能との恋など、あまりにも非生産的過ぎる。そんなものでロバートを縛り付けたくなかった。けれど、彼は友情に対して真摯であり続け、結局は人工知能と共にあり続けた。

 

「ウイング。|最終戦争《ファイナル・ウォーズ》を始めよう」

『……まだ、猶予はあるよ?』

「だからこそだ。大いなるものの目覚めを前に、少しでも力を削ぎ落とし、ウルガに力を与える」

『……意味、分かっていってるんだよね?』

「分かっている。だからこそ、他の誰にも譲りはしない」


 ロバートが歩み進んだ先には巨大な装置が佇んでいた。


『インフェルノ・ゲート。開いた瞬間、世界は地獄に変わる。待っていれば、それは自然災害。だけど、意図的に開くというのなら、それは……』

「分かっているさ。覚悟は出来ている」

『……ロバート』


 ロバートはコンソールを操作し始める。


《――――認証の為のアクセスIDを入力して下さい》


 音声に従いながらキーを打ち込みつつ、ロバートはウイングに問いかけた。


「ウイング。最期に君の名前を教えてくれないか?」

『ウイングじゃ、ダメ?』

「……それが君の名前だと言うのなら、それでいい」


 それっきり、ロバートは口を閉ざした。カタカタとキーを押す音と時折混ざる音声以外になにも聞こえない。ウイングも口を開かなかった。ただ、ロバートの背中を見つめている。

 濃いブラウンの髪はすっかり白くなり、首筋にも皺が刻まれている。

 

「……よし、これで終わりだ」


 最後のキーを押そうとするロバートに、ウイングはそっと近づいた。


『■■■だよ、ロバート』

「……奇妙な響きだな。だが、悪くない」


 そう呟くと、ロバートはキーに乗せた人差し指を深く沈めた。


 ◆


 2022年12月24日22時30分。クリスマス・イヴを祝う人々が世界中で祝杯を上げていた時だった。

 その瞬間――――、人々は神意を垣間見る。

 手に持っていたスマートフォンの画面に奇妙な文字が広がっていく。街頭ビジョンやパソコンにも同様の現象が確認され、冷蔵庫や電子レンジなどの電化製品にも次々に異常が確認される。

 そして――――、ソレは産み落とされた。


「……なに、これ」


 文字の奔流が止まったスマートフォンには生き物の映像が映り込んでいた。

 ある女子高生のスマートフォンには翼竜のような生き物が、ある教師が利用していたプロジェクターにはアメーバのような生き物が、ある科学者が使用していたパソコンには魚のような生き物が、人の数だけスマートフォンやパソコンのある時代、その数だけの生き物が画面に映し出されている。

 そして、生き物たちは忽然と消え去った。

 人々ははじめ、バグかウイルスを疑った。そして、頸を傾げつつも日常に戻ろうとして、不意に辺りが暗くなった事に気がつく。戸惑いながら見上げた夜空には巨大な影が映り込み、やがて、その影がさっきまでスマートフォンやパソコン、プロジェクター、テレビに映り込んでいた未知の生命体である事に気づき、口をポカンと開ける。

 誰も、目の前で起きている現象を理解する事が出来なかった。

 現れた生物は十体。それぞれ、ニューヨーク、パリ、ロンドン、香港、シンガポール、ベルリン、マドリード、チューリッヒ、チョルノーブィリ、そして、東京に現れた。

 生物達はある方角に顔を向けると、突き進み始める。進路上に何があろうとも、ただ前へ愚直に歩み続ける。各国の軍が動き出し、ミサイルや最新兵器が投入されても歩みを止めず、立ち塞がるものはすべて破壊し、進む。


 ◆


 東京に現れた生物もまた動き出していた。見た目はカニやクモのようだが、竜のような顔と尾を持ち、尾の先にはハサミのような鋭い刃が生えている。

 進む度に街が破壊されていく。ビルが倒壊し、住宅が踏み潰され、踏み千切られた電線によって火の手が上がる。人々は半月前の事を思い出した。お台場を火の海にした巨大生物の事を。

 直前の決議によって軍備を拡大された自衛隊が果敢に挑むが、如何なる兵器も通用せず、それどころか爆撃を受ける度に生物は大きくなっていく。まるで、爆撃を栄養としているかのように、異様な速度で成長していく。

 その怪物の存在そのものに、その成長の速度に、あらゆる学者が匙を投げ、ある識者が叫び声を上げた。

 やがて、あるTV番組の司会者が生物をこう呼んだ。


 ―――― 奇妙奇天烈奇々怪々。まっこと怪奇な生き物ですね。言うなれば……、『怪獣』。


 その司会者が人気者であった事もあり、その呼称がネット上で瞬く間に広がった。

 やがて、怪獣は足を止める。怪獣を追っていた報道のカメラが怪獣の視線の先を映し出す。そこには、もう一体の巨大生物の姿があった。鮮やかな色合の翼を持つ怪鳥だ。

 二体は睨み合い、まるで威嚇し合うかのように鳴き声を上げた。

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