愛する家族に別れを告げ、その足で沙也加は京都に向かった。
駅に到着すると、バスで近代化された都市部を抜けて鞍馬山を目指していく。
山の前まで来るとチラホラ観光客の姿があった。この山の正体を知らない者にとって、ここは源義経縁の観光名所でしかない。
「行くよ、メギド」
「ああ」
山に向かって歩いていくと痺れるような感覚を覚えた。この山には地の竜の内部空間へ通じる門があり、この痺れはその門を覆い隠す結界に触れた証拠だ。
林の中にポツンと浮かぶ巨大な門。観光客の目を盗み、沙也加とメギドはその門に向かって歩き出した。門を押し開くと、その先には板張りの床と白磁の壁が見える。
内側へ入っていくと、両脇の壁に金で刻まれた文様が描かれていた。
「メギド。大丈夫?」
「問題ねーよ。地の竜もわたしを吸収する事の意味を理解している。だから、バルガやウルガに封印で留めさせたんだ」
唇の端を吊り上げ、悪そうな笑みを浮かべるメギドに沙也加は肩を竦めた。
今は大丈夫でも、油断は出来ない。沙也加は深く息を吸い込んだ。ここは常世の国。龍脈とも呼ばれる地の竜の体内。魑魅魍魎の棲家であり、陰陽連と呼ばれる組織の本拠地でもある。
「一億年か……。長いね」
「短い方だ。アイツはその数倍だぜ? いや、あいつらというべきか……」
廊下を進んだ先には障子があった。二人が近づくとまるで自動ドアのように開き、中へ誘い込んでくる。沙也加はメギドの手を握りながら意を決して虎穴へ飛び込んだ。
そこで待っていたのは贄守梁兼と名乗っていた老人だった。
「……こんにちは。翼くんは元気そうでしたよ」
「そうか……」
老人は二人に背を向け、壁に描かれた絵を見つめている。
巨大な白い怪物と、それに立ち向かう翼を持つもの。そして、その上に立つ人影。
「……これが始まりの光景ですか」
沙也加は拳を強く握りしめた。
そんな彼女を一瞥した後に老人はメギドへ問う。
「大いなる存在より生まれし竜。その竜より生まれし竜よ。お主の望みを聞こう」
「終わらせる事だ。そして、始める事だ」
メギドは迷いのない口調で言った。
「安心しろよ、人間。|今回《・・》のわたしはお前達の味方だ」
「……ありがたい話じゃ」
老人は声を震わせながら呟いた。そこに感謝の念は微塵もなく、あるのは嘆きの感情のみ。
「ウルガが鍵だ。そして、その契約者も」
「……選択肢はあの子の内にのみ存在する」
「追い詰められてから選択を迫る気か? どっちが酷なのか、わたしには分からんが」
老人は頭を抱えながら蹲った。顔を覗かなくとも、そこに浮かぶ苦悩が手に取るように分かる。十八年前は組織の歯車として動いていた筈の男が、十四年の歳月を経て歯車ではいられなくなったのだろう。
鉄の男。日本を……、地の竜を救うために幼い命を平然と捧げようとした男が、一人の少年の命を惜しみ、嘆き苦しんでいる。その姿をメギドはジッと見つめていた。
「……世界よりも大切になったか?」
老人は答えない。それが答えとなった。
「だが、いずれにしても死を迎える事は変わらない。抗わなければ……」
「……扉は開いておる」
老人はそれだけを告げると、体を震わせながら黙り込んでしまった。
メギドは沙也加を見つめる。
「岩崎宗久様」
沙也加は老人の本当の名を口にした。
「忠久がバルガをウルガに変えたように、十八年前、あなたは孫娘であるわたしを使ってメギドを操ろうとした。その時に、わたしは命を落としかけました」
沙也加の言葉は老人を突き刺していく。けれど、その口調は内容に反して穏やかなものだった。
「そんなあなたが翼くんを愛するようになった事、嬉しく思います」
「……沙也加」
「わたしにとっても、彼は大切な存在です。なにより、彼を失えばコウちゃんが嘆くでしょうから」
沙也加は宗久に背を向けた。
「可能性は零に近い。だけど、わたしは戦います。一億年も待ってくれたメギドの為にも」
沙也加はメギドの手を掴み、部屋を後にした。その足が向かう先は封印の祠。嘗て、先代のウルガがメギドを封じ込めた場所。伏魔殿を経由しなければ入り込めない京都の地下に広がる大空洞だ。
そこには巨大な石像が安置されている。しかし、頭部に当たる部位が破損している。
「これがメギドの本体なんだね」
「おう。先代のウルガが死んだ事で封印が少し緩んだ時、頭の部分だけ抜け出せた。おかげで沙也加の危機に間に合ったわけだ。言いたくないが、タイミングだけはバッチリだったな」
「結果オーライって感じ?」
「そんなところだ」
軽口を叩き合いながら竜の石像へ近づいていく。
「さてさてさーて、十八年ぶりの完全復活だ。覚悟はいいな、沙也加!」
「バッチリだよ、メギド!」
メギドの肉体が光を帯び始める。それに伴い、沙也加が胸から取り出した果実も光り始めた。その果実に沙也加は命を注ぎ込んでいく。
|非時香菓《ときじくのかくのこのみ》と呼ばれるもの。魂の揺り籠だ。
生還した前例が無い故に戻れる保証は一切無く、メギドの死は、この瞬間より沙也加の死となる。けれど、迷いはない。これは世界と愛する人を救うための祈り。なにより、この命は愛すべき友と共にある。
沙也加の肉体が果実に吸い込まれ、果実はメギドの肉体へ飛び込んでいき、メギドの肉体は竜の石像へ向かって浮かび上がる。
そして――――、
◆
晴天がまたたく間に曇り、雷鳴が轟いた。そして、一際眩い雷光と共に一匹の竜が現れた。
黄金に輝く巨体に人々の目は釘付けとなる。ある者はスマートフォンで撮影を始め、ある者は数日前の東京湾を思い出す。
竜が翼をはためかせると、それだけで突風が巻き起こる。地上は大騒ぎになった。
―――― メギド! ここにいると不味いから、はやく行こうよ!
―――― わ、悪気は無かったんだ!
竜はゆっくりと高度を上げていく。雲海を突き抜け、体を南の方角へ向ける。
見据える先は護国島。
◆
|輝竜《メギド》の出現の一報は特定災害対策局にも伝えられていた。
「馬鹿な、メギドだと!? 十八年前に先代のウルガが討伐した筈だぞ!」
対策局局長のマイケル・ミラーはモニターに映る黄金の竜の姿に青褪めた表情を浮かべた。
「復活したようです! 現在、メギドは護国島に向かって移動中! このままでは、一時間足らずで到達します!」
「護国島……。目的はウルガか!? だが、これは好機でもある! 護国島の周辺海域から日本支部の巡視船を撤退させよ! 同時にGKSの用意を急げ!」
「まさか、使う気ですか!?」
オペレーターが正気を疑うかのようにマイケルへ向かって叫んだ。
「使う。現在のウルガは幼体だ。飛行能力を有するメギドに勝てる保証はない」
オペレーター達は互いに目線を向けあった後、マイケルの指示に従い動き始めた。
◆
衛星軌道上を巡る巨大な|投槍機《スピアスロアー》に地上より信号が送られる。
配備より、僅か二日目。その白銀のボディに光が灯る。内蔵されているモニターには次々にシステムのチェック項目が表示され、その度に《OK》の二文字が浮かぶ。そして、最終チェックの完了を意味する《system all green》の表示と共に全体が|神殺しの槍《God killing spear》の発射体勢に入るために変形を開始する。
目標を衛星カメラによって捕捉し、移動速度、飛行高度、気圧、温度、風力、重力などの計算が刹那に完了していく。残すは発射の合図を待つばかりとなった。
◆
オペレーターはGKSの準備が完了した事を確認すると、マイケルに視線を向けた。
「セットアップ完了です!」
「よし、目標が指定海域に入った瞬間を狙え!」
「了解。秒読みを開始します。5秒前、4……3……2……1」
「発射!」
マイケルの声と共にオペレーターが発射の合図を送る。
その瞬間、天より巨大な槍が放たれた。
◆
太平洋上空を飛行するメギドは天に瞬く光に気づいていた。
―――― なんか、嫌な予感がするよ。
―――― 舐めるな!
ロケットエンジンによってマッハ9.5を越えて飛来する対SDO最終兵器に対して、メギドは回避行動に打って出た。
雷を操り、雷と化す事が可能なメギドにとって、その程度の事は造作もなかった。けれど、その回避行動によって発生したエネルギーとGKSが地上にぶつかった衝撃によって海水が勢いよく舞い上がった。視界が遮られたメギドは直後に悟る。
―――― 二発目が本命か!
死角から降り注いだ第二撃目を完全に回避する事は出来なかった。
肉片と血潮を撒き散らしながら三発目を警戒し、メギドは海中へ潜る。すると、三発目の代わりにいつの間にか接近していた巨大な雛鳥と遭遇した。
―――― ウルガ!?
―――― この状況で、恐れ知らずが!
メギドが稲妻をウルガに向けると、ウルガの前に見えない壁が現れた。
―――― 翼くん……!
―――― 中々、やるじゃねーの!
水中という戦場はメギドにとっても、ウルガにとってもやり難い状況だった。
それでも、二体の怪物は引く気を見せない。
―――― この傷だと、あんまり長引かせられないよ!
―――― 分かってる!
二発目のGKSによるダメージは大きい。だが、ここで負けるわけにはいかない。
メギドは初手から全力の雷撃をウルガに放った。それすらも見えない壁が防ぐが、その隙にウルガへ肉薄し、大きく口を開いた。
齧りつく竜の口を振り払おうとウルガが藻掻く。すると、見えない壁が消失してしまった。
―――― 狙い通りね。どちらかの集中を乱せば祈りの効果は消える!
―――― 一気に攻めるぞ!
ウルガを敢えて解放し、尾を鞭のようにしならせて無防備なウルガの肉体へ叩き込む。苦悶の鳴き声を上げて海底へ沈んでいくウルガにメギドはさらなる雷鳴を浴びせた。
―――― こ、殺してないよね?
―――― あの程度でくたばるわけないだろ。
メギドはしばらく海底を見つめた後、ゆっくりと海上へ浮上した。
そして、そのまま天高く舞い上がっていく。
―――― とりあえず、これでいいんだよね?
―――― おう。これで力の無さは自覚した筈だ。
メギドの宇宙空間へ飛び出すと、そのままGKSの衛星を一瞥だけして彼方に浮かぶ月へ向かった。
―――― しばらく、二人っきりだね。
―――― そうだな。
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