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執筆者の写真雪女 雪代

第一話『贄守 翼』

 |贄守《にえがみ》|翼《つばさ》は仕来りという言葉が大嫌いだ。その言葉の為に幼い頃からよく分からない勉強を強要され、よく分からない舞いを踊らされ、よく分からない歌を歌わされてきた。それでも我慢してきた。

 翼には両親がいない。幼い頃に交通事故で死んでしまった。だから、老骨に鞭打って育ててくれている祖父を蔑ろにする事が出来なかった。

 それでも、今度という今度は我慢の限界だった。


「ふざけんな!」


 いつものように朝食を用意して祖父を起こしに寝室へ向かった翼を待っていたのは白い小袖と緋色の袴だった。いわゆる、巫女装束だった。

 翼の祖父である贄守|梁兼《りょうけん》は、あろうことか男である翼に巫女装束を着ろと迫って来たのだ。小学生の頃なら言われるがままに着ていたかもしれないが、翼は今年で中学二年生になる。


「ジジィ! オレをなんだと思ってるんだ!」

「仕来りじゃ、翼! 贄守宗家の後継者は十四になったら本格的な修行をしなければならんのだ! お前の母も、祖母も、曾祖母もみんなこれを着て修行に励んでおったのじゃぞ!」

「オレは男だぞ!」

「仕方あるまい! お前しかおらんのだ!」

「冗談じゃねーよ! ただでさえ神社の倅って事でイロモノ扱いされてんだぞ! この上、巫女装束なんて着れるか!」

「仕来りじゃぞ、翼!」

「うるせーよ! 仕来りって言っとけばなんでも許されると思ってんじゃねーぞ!」


 立ち上がり、カバンを背負って出ていく翼を梁兼は追いかけた。


「待ちなさい、翼! まだ、話は終わっとらんぞ! お前は巫覡になるのだ! それが我が贄守神社の後継者の使命なのだぞ! その為に――――」

「うるせーよ、クソジジィ!」


 玄関扉をピシャリと閉じると、神社の境内を突っ切り、自転車置き場に向かう。母屋の方から聞こえる祖父の怒鳴り声から逃げるように自転車を漕いで道路に出ると、そこには幼馴染の|岩崎康平《いわさき こうへい》が待っていた。


「あれ? 今日は早いな」


 アプリでマンガを読んでいた康平は残念そうにスマートフォンを仕舞いながら言った。


「悪かったな!」

「いや、悪かねーけど……ってか、機嫌悪くね?」

「最悪だぜ! 聞いてくれよ!」


 翼が愚痴をこぼすと、康平は腹を抱えて笑った。


「み、巫女装束!? 相変わらず、翼の爺さんはおもしれーな!」

「笑い事じゃねーよ! 祭りの日にまで着ろとか言い出してんだぜ!?」

「いいじゃねーか。爺さん孝行してやれよ」

「絶対に、イ・ヤ・ダ!」


 ガルルと唸る翼を観察する康平。


「でも、翼なら似合うんじゃね? 俺とか坂巻辺りなら悲惨だけどよ」

「……喧嘩なら買うぞ?」

「そ、そう言えば新しいゲームを買ったんだよ。帰ったらやろうぜ!」


 翼のトーンが下がった事に気付いた康平は慌てて話を逸した。


「ゲームって……?」

「ゾンビゲー」

「……お前、好きだな。ゾンビ」

 

 怒りの視線が呆れの視線に変わった事を察してホッと息をつく康平。

 ゲームの話で盛り上がっていると、道の途中でクラスメイトと遭遇した。


「よう、坂巻!」

「おはよー」


 |坂巻健吾《さかまき けんご》はメガネの向こう側から眠そうな視線を二人に向けた。


「贄守と岩崎か……。うん、おはよう」

「……今日も眠そうだな。また、徹夜で本を読んでたのか?」

「うん……。愛読している本の作者が新刊を出したんだ」


 健吾は自他共認める活字中毒で、一度読み始めた本は読み終わるまで食事や睡眠さえ忘れてしまうという悪癖を持っていた。そのせいでいつも眠そうな顔をしている。


「これで授業中、よく起きてられるよな」

「……教科書読むの楽しいからね」

「うへー。分からねーなー」


 健吾の凄いところは教科書さえ娯楽の一種と捉えられるところだ。


「贄守も読書をしたらいい。これを読んでくれよ。そして、感想を言い合おう」

「……これ、面白いか?」


 タイトルは『砂漠を歩くラクダの一生』。実につまらなそうだ。


「面白いよ」


 自信満々な健吾の顔を疑わしげに見つめながら翼は本をカバンにしまった。


「とりあえず、読んでみるよ」

「うん!」


 本の話題ですこし眠気が取れたらしく、健吾はご機嫌な笑顔を浮かべた。


「ほれ、二人共」


 康平が缶コーヒーを持ってきた。一番近い自動販売機は十メートルも先にある。


「……お前、逃げたな」

「おいおい、人聞きが悪いぜ。俺は眠そうな坂巻の為にコーヒーを買ってきてやっただけだっての」


 そう言ってブラックの缶コーヒーをゴクゴク飲む康平。


「……お前、よくコーヒーをブラックで飲めるな」

「ん? いや、どっちかって言うと、ブラックじゃないと飲めねーんだよ」

「普通、逆じゃね?」


 試しに一口貰うと、思わず吐きそうになった。慌てて加糖の缶コーヒーで口直しをしながら、翼はやっぱりブラックは無理だと確信した。


「ちくしょう、大人ぶりやがって」

「別に大人ぶってなんかねーよ。ほれ、これでも食べて機嫌を直せよ」


 そう言って、康平はポケットから取り出したスルメを翼に渡した。


「……前言撤回。お前は大人じゃなくて、おっさんだわ」


 ◆


 休み時間の合間に読んだ健吾に借りた本は予想と違って面白かった。砂漠という環境の中で生きるラクダの気持ちを迫真の文章が描き出し、読了後はちょっとしたアクション映画を観た気分だった。サソリや毒虫との激闘や、花嫁を巡るライバルとの激闘には手に汗握る思いだった。

 放課後、健吾の席に向かって感想を言い合っていると、横で聞いていた康平が興味を示し、読み耽り始めた。そこまで分厚くはないが康平は読む速度が遅い。これではゲームをする時間が短くなってしまう。


「おい、康平! 読書は夜でもいいだろ! 早く帰ってゲームしようぜ!」

「待ってろ。今、いいところなんだ。まさか、行方不明になっていた親父が……」


 どうやら、序盤の山場にたどり着いたようだ。


「あはは。岩崎も嵌ったみたいだね。どう? 贄守はこっちを読んでみない?」


 そう言うと、健吾は『贄守の巫覡』という本を差し出してきた。


「ゲッ!? うちの名前が書いてあるじゃんか!」

「そうだよ。贄守神社の伝説が書いてあるんだ。はるか昔、贄守神社の巫覡が守護神と共に破壊神を討伐したそうだよ」

「……それ、ジジィからしょっちゅう聞かされてる」


 まるでファンタジー小説みたいな設定だ。こんなものが市販されているなんて、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。


「フゲキって、なんなんだ?」


 読書に集中していた筈の康平が顔を上げて言った。出来れば、こんな我が家の黒歴史に興味を持たないで欲しい。作者の名前に心当たりはないが、きっと中二病だったに違いない。なんだよ、守護神ウルガとか、破壊神アルヴァって……。


「巫覡っていうのは、神を祀り、神に仕え、神意を民に伝える人達の事だよ。分かり易く言うと、巫女さんだね」

「ああ、翼がなるっていうアレか」


 思わず持っていた『贄守の巫覡』で康平の頭を引っ叩いてしまった。


「イッテー!! なにすんだよ!?」

「なにすんだよはコッチのセリフだ!」

「……えっと、贄守は巫覡になるの?」

「ならない! ジジィが血迷ってるだけだ!」


 最悪だ。幼馴染の康平だから話したのに、健吾にまで知られてしまった。


「じゃ、じゃあ、この本に書いてあった歌も歌えるの? 守護神に力を与えた歌!」

「それって、あの歌か? 翼が爺さんに仕来りだって練習させられてた」

「うるせー! オレは巫覡になんてならねーよ!」

「別にいいじゃねーか。去年の文化祭のメイド服も似合ってたし」

「口を縫い合わせられてーのか!」


 去年、オレは康平や健吾とは別のクラスで、文化祭の出し物は女装喫茶という頭のおかしいものだった。女子一同の悪ふざけによって黒歴史を作らされた|男子一同《オレたち》の背負った悲しみがコイツには分からないのだ。


「ねえ、ちょっとでいいから歌ってみてよ!」

「イ・ヤ・ダ!」


 これ以上付き合っていられない。さっさと荷物をまとめて教室を出ると、慌てた様子で康平と健吾が追い掛けてきた。


「そんなに怒るなよ。ほら、ゲームやる約束だろ!」

「贄守……、その、悪かったよ」


 追い掛けてきた二人を睨む。眉の垂れ下がった二人の困り顔を見ていると、怒る気が削がれた。深くため息を吐く。


「……わーったよ。どうせなら健吾も来いよ。一緒にゲームやろうぜ」

「おう! 行こうぜ、坂巻!」

「う、うん! 行くよ!」


 やれやれと肩を竦めながら三人で康平の家に向かう。到着すると、ヤケに家の中がドタバタしていた。康平が様子を見に入っていくと、しばらくしてゲーム機を持ち出してきた。


「どうしたんだ?」

「なんか、姉ちゃんが彼氏連れて来たみたいでな。外人なもんだから家族会議の真っ最中だったよ」

「はぁ!? いいのかよ、参加しなくて! ってか、さやかさん、マジか!? 外人!?」

「マジマジ。まあ、俺は姉ちゃんが決めた事に口を挟む気はねーし。ゲーム機持って来たから、翼の家でやろうぜ!」

「……お前、それはちょっと冷たくね?」

「そうか?」


 康平の姉、岩崎沙也加さんは美人で評判だ。オレが康平の立場なら間違いなくシスコンになっていた。優しくて穏やかで頭もいい。まさに非の打ち所のない女性。正直に言えば、初恋の相手だった。


「……ちぇー。マジかよ……」

「外人は凄いね」

「姉貴の結婚の事なんてどうでもいいじゃん。それより、ゾンビ狩ろうぜ!」


 姉よりゾンビを選ぶ康平。将来が心配だ。


「そうだ! ついでに泊まっていっていいか?」

「……別にいいけどさ。お前、もうちょっと……」

「サンキュー!」

「お、おい!」


 なんて薄情なやつだ。オレなら徹底的に相手の粗を探し尽くして結婚を阻止するのにな。


「到着!」


 康平の家から徒歩二分。大きな鳥居と桜の木が贄守神社の目印だ。


「翼!」

「ゲッ、ジジィ!」


 境内に入るなり、ジジィが現れた。咄嗟に逃げるを選択すると、ジジィは歳に似合わぬ俊敏さで回り込んできた。


「逃げるでないわ! 明後日はお前の誕生日! 即ち、お前が巫覡になる日なのだぞ! それまでに最低限の……っと、康平くんではないか。そっちの子は新しい友達かな?」


 急なテンションの切り替えに目を丸くしている健吾。


「は、はい。どうも、坂巻健吾です」

「むむ……、お友達が来ているのならそっちが優先じゃな。修行は明日からにしよう」

「明日もやらねーよ!」

「なんじゃと! 仕来りじゃぞ、翼!」

「うるせー! 仕来りだろうがなんだろうが、巫女装束なんか着れるかクソジジィ!」

「ええい、分からず屋が!」

「分からず屋はそっちだろ!」


 ジジィと言い争っていると、いつの間にか康平と健吾の姿が消えていた。

 どこに行ったのかと思えば、二人は勝手に俺の部屋に上がりこんでゲームのセットアップを始めていた。


「おっ、終わったか?」

「終わったか、じゃねーよ! 人の部屋に勝手に入るな!」

「別にいいだろ。お前と爺さんの喧嘩が終わるの待ってたら日が暮れちまうよ」

「慣れてるね、岩崎……」

「まあ、昔からこんな感じだしな。よーし、セットアップ完了!」


 とりあえず、康平の満面の笑顔にジジィから渡された饅頭を投げつけておく。


「イテッ。食べ物を粗末にするなっての……」

「君達、仲いいね」


 健吾が呆れたように言った。

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