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執筆者の写真雪女 雪代

第十話『過去の凶悪事件』

佐伯は久方振りに蛹内署へ戻って来た。ここ数日は昼夜を問わず街中を駆けずり回っていたから、まるで我が家に帰って来たかのような安心感を覚え、足取りも僅かに軽くなった。

 佐伯が所属しているのは捜査一課の組織犯罪対策係、通称・組対係だ。普段は暴力団やマフィアなどが関与している組織犯罪を担当している。蛹内市には指定暴力団『|宝岑会《ほうしんかい》』の総本部がある。市内には支部がいくつかあり、彼らの動向を探る事が彼の本来の職務だった。

 立花とタッグを組むにあたり、担当していた支部の監視や調査を先輩である瀬尾に任せている。小まめに報告をくれるけれど、それだけではどうにも落ち着かない。結崎悠人殺人事件の捜査ももちろん重要ではあるが、『|鵜堂組《うどうぐみ》』の|鵜堂忠文《うどうただふみ》は油断ならない悪辣な男だ。街の治安を守る為には監視を怠る事が出来ない。


「あれ? 佐々木さん!」


 曲がり角で顔見知りと遭遇した。やせ細った体が時々不安になる男、|佐々木頼久《ささきよりひさ》だ。佐伯が声を掛けると、彼は飛び上がった。あまりにも派手なアクションに佐伯は目を丸くした。


「ど、どうしたんですか!?」

「あ、ああ、佐伯か! すまない。徹夜が続いていて、神経が過敏になってるんだ」

「ああ、サイバー係ですからね……」


 佐々木は佐伯と同じく捜査一課に所属している。その中でもハッキングや不正アクセス、詐欺などの事件を担当するサイバー犯罪対策係、通称・サイバー係の一員だ。

 現在、サイバー係は特捜本部の分析班に人手の大半を取られている。その皺寄せを受けて、佐々木は眠れない日々を過ごしているようだ。

 

「コーヒー飲みますか? 奢ります」

「ああ、悪いな。ブラックで頼むよ」

「はい」


 近くの自動販売機で購入したコーヒーを渡しながら、佐伯は問い掛けた。


「佐々木さんはどう思います? 今回の事件」

「結崎悠人殺人事件の事かい? サイバー係の僕の意見なんて、あんまり参考にならないと思うよ?」

「少し行き詰まってまして……」

「まあ、もう一週間以上が経過しているしねぇ。現場は住宅街のど真ん中。遺体は頭部のみ。被害者は七歳の少年。一つ一つの要素が物議を醸すものばかりだ。そして、それが犯人の狙いなんだろうね」

「狙いですか?」

「捜査の撹乱を狙っているのか、はたまた目立ちたいだけなのか……」


 佐々木はコーヒーを一気に飲み干して言った。


「恐らくは後者だと思う。捜査の撹乱を狙っているのなら、頭部を晒す必要はない。あれはパフォーマンスだ。幼稚で目立ちたがり屋。それが僕の犯人に対する印象だよ」


 そう言うと、彼は立ち上がった。


「こんな所だね。役に立ったかい?」

「ええ、かなり……」

 

 佐々木の意見は立花警部の推理と一致する内容だった。

 やはり、犯人は子供なのかもしれない。それを確かめる為に彼はここへ来た。


「ありがとうございます、佐々木さん」


 佐伯は佐々木と別れると、その足で少年係のデスクを訪ねた。

 ここは少年犯罪を始めとした未成年者に関する活動を行っている部署だ。


「あれ? 佐伯くん?」

「やあ、不知火」


 |不知火楓《しらぬいかえで》は佐伯の同期だ。


「少し、事件の事で確認したい事があるんだ」

「それ、結崎悠人くんの?」

「ああ。犯人が子供である可能性が出て来た」

「……それ、本気で言ってるの?」

「状況的にその可能性が高いみたいだ」


 不知火は不機嫌そうに顔を顰めた。

 怒っているわけではない。彼女は思考に耽る時、よくこういう表情を浮かべる。 


「……ちなみに、何歳くらいの子だと思ってるの?」


 その問いに対して、佐伯は少し躊躇った。一笑に付される気がしたからだ。


「十歳未満だ……」

「……もう一度聞くけど、本気で言ってるの?」

「ああ」


 犯人が使った経路。その塀の上は両脇の庭に植えられた木の枝葉がカーテンになっている。けれど、そのカーテンに隠れられる体躯となると十歳以下の子供という事になる。

 両脇の家の窓からも枝葉のカーテンの上は丸見えになっていた。完全に隠れられる体躯でなければ、あの経路を使う事は出来ない。犯行当日の深夜一回切りならばともかく、何度も往復しているとなると、その考えでほぼ間違いないだろうと立花警部は結論を下した。

 この恐るべき猟奇殺人の犯人が十歳以下の子供であるとは到底信じ難い。けれど、鑑識課が調査を行った所、その立花警部の推理を裏付けるような痕跡が発見された。まさしく十歳以下の子供の足跡だ。しかも、その足跡に付着していた土を土壌分析に掛けてみると、蛹内森林公園の物と断定された。


「ほぼ、間違いない。少なくとも、あの現場に悠斗くんの頭部を運び、設置したのは十歳以下の子供だ」


 折れた枝を含め、塀の周辺の枝葉をDNA鑑定に回している。


「『ほぼ』ね。納得してない事がある感じ?」

「死体遺棄を行った犯人は子供なのかもしれない。けれど、その犯人と殺人犯がイコールであるとは限らない筈だ」


 死体と言えど、首を切断すれば夥しい量の血液が溢れ出した筈だ。その後処理などを十歳以下の子供が出来るとは思えない。

 十歳以下の子供に死体の運搬をさせた卑劣な黒幕が居る筈だ。

 サイバー係の佐々木曰く、幼稚で目立ちたがり屋な真犯人が。


「……それで? 私に何を聞きたいのかしら?」

「過去にこの街で凶悪犯罪を犯した未成年者の記録が見たい。この事件はあまりにも周到過ぎる。初犯とは思えない」

「ちょっと待ってて」


 不知火はパソコンを操作し始めた。


「過去の重大事件となると件数は限られるわね。どのくらい遡る?」

「調べられる限りで一番古い記録はいつだ?」

「軽犯罪を含めれば三十年前までね。凶悪犯罪となると……、24年前の岩瀬一家殺害事件よ。当時、中学2年生だった少女が引き起こした事件」

「他の事件についても教えてくれ」

「尊属殺人を除外して、殺人事件でフィルタリングすると、結構数が多いわね。ただ、暴走族の抗争は省いてもいいかしら?」

「ああ、それは関係ないだろう。見せしめ染みた行為が行われた事件をピックアップ出来るか?」

「さすがに難しいわね。猟奇殺人でフィルタリングしてみるわ。文章の中でそう表現されている事件をピックアップ出来ると思う」

「頼む」

 

 不知火がまたキーボードを叩くと、数は一気に絞る事が出来た。


「過去三十年の間に蛹内市で起きた『猟奇殺人』と称された事件は六件ね」


 多いのか少ないのかイマイチよく分からない数字だ。


「全部教えてくれ」

「分かったわ。一件目はさっき言った『岩瀬一家殺害事件』。被害者は家主の岩瀬孝太郎氏とその妻、息子、娘の四人。娘は腹部を引き裂かれて内蔵を抉り出されていたみたい」


 一件目から吐き気を覚える内容だ。


「二件目は20年前の『河川敷集団リンチ事件』ね。当時、高校一年生だった滝上麻斗くんが同級生の男女十人に集団で暴行を加えられて死亡したみたい。遺体は損壊が激しい上、肛門に裂傷や火傷の痕もあって、性的暴行を加えられた形跡もあるみたい」


 実に悍ましい事件だ。けれど、不知火は表情一つ変えずに次の事件にページを切り替えていく。


「三件目は18年前の『ホームレス連続生き埋め事件』。当時、中学生の少年少女がホームレスに集団で暴行を加え、生きたまま土に埋めて窒息死させたみたい。彼らはゲーム感覚だったみたいで、発見されるまでに五人の被害者が出たみたい」


 ゲーム感覚で済ませて良いものなのか甚だ疑問だと佐伯は感じた。

 ホームレスを人間だと思っていない。家畜やペットが相手でも生き埋めになどしたら良心が痛む筈だ。それを何度も繰り返したのは、彼らにとって、ホームレスは家畜以下だったという事なのだろう。それは最早、人間の精神ではない。


「四件目は16年前の『伊山病院殺人事件』」


 その事件は佐伯の記憶にも残っている。テレビで連日のように放送されていた。


「たしか、人体実験もどきをやらかしたんだったか……」

「そうよ。当時、中学生だった男女6人のグループが入院中の岩波小夜子ちゃんをベッドに縛り付けて、いくつもの薬品を無理やり飲ませたの。風邪薬だとか、下剤だとか、薬局で適当に買ってきた薬を用量も用法も守らずにね。その挙げ句、オーバードーズ状態になった彼女の口に硫酸を飲ませて殺害した」


 想像するだけで恐ろしい事件だ。何が彼らをそのような凶行に駆り立てたのだろうか……。


「五件目は10年前の『悪魔儀式殺人事件』。中学2年生の少年が起こした事件ね。死体を自室の壁に磔にして、悪魔崇拝染みた儀式を行ったみたい。犯人は遺体の一部を食べていたみたい」


 洋画などで時々目にするカニバリズムというものだろう。日本でやらかす犯人がいた事に驚いた。人間を食べるなど、まったくもって理解が出来ない。やはり、凶悪犯罪を犯す人間は常人とは違うのだろう。姿形が似ているだけの別の生き物だと考えれば、まだ納得がいく。それほどまでに理解不能な存在だ。


「六件目は5年前の『蛹内市立第二高校自殺偽装事件』ね。犯人は被害者の同級生の男女四人。彼らは『自殺ごっこ』と称して被害者の少年の首を吊り上げ、もがき苦しむ被害者をサンドバッグにしていたみたい。その途中で被害者は死亡。犯人達は自殺に見せかける為に偽装工作を行い、裁判では殺意を全面的に否定した」


 聞き終えた後、佐伯はしばらく椅子に座り込んだ。

 ただ聞いただけだ。それでも、凶悪事件の数々は彼の精神を大きく蝕んだ。


「詳細は証拠品保管所にあるけど、どうする?」

「……確認してみる。聞いてて、気になる点があった」

「気になる点?」

「ああ」


 佐伯は吐き気を堪えながら少年係のデスクを出て、証拠品保管所へ向かった。

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