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執筆者の写真雪女 雪代

第六話『捜査範囲拡大』

蛹内署に設置された特別捜査本部。その責任者に任命された田所管理官のデスクには、散らかった書類や捜査報告書が山積みになっていた。彼の眉間には深い皺が寄り、手には不安を抱えた筆致で書かれたメモが握られている。フロアの電話は途切れる事なく鳴り続け、捜査員達からの報告や要請が殺到している。

 彼の心は不安と焦りで満たされていた。捜査は予想以上に難航している。

 司法解剖の結果、被害者の首の断面には蛹内森林公園の土が付着していた。他の付着物からも、犯行現場は森林公園での一画である事が確定しており、捜査員の捜索によって大方の見当はついている。けれど、未だに犯人の痕跡は発見出来ていない。

 立花警部をはじめ、幾人かの捜査員に森林公園から伊山小学校までの経路を洗わせているが、そこでも犯人を断定出来る手掛かりは見つかっていない。

 遺体の断面の状態から、切断にはノコギリが使用された形跡があるものの、錆などは付着しておらず、新品が使用されたらしい事が分かっている。近隣のホームセンターなどでノコギリの販売状況と監視カメラの映像を提出してもらい、そちらも分析班に調査を進めさせているが、新品のままの状態で長い時間放置されていた物を使用された可能性もあり、あまり期待は持てない。

 遅々として進まない捜査状況。それに加えて、田所管理官を苛んでいるのは外部からのプレッシャーだった。本庁の上層部や市民からは疑問の目を向けられ、メディアの厳しい批判が彼の肩にのしかかっている。彼は捜査の進行状況を説明する度に、自分自身の無力さを痛感していた。

 そんな彼の様子を見て、捜査主任の市川は額から溢れ出る汗を止める事が出来なかった。

 七歳の児童の生首が小学校の前に置かれる。そのセンセーショナルなニュースは日本全国のみならず、他国のメディアからも関心を集めてしまっている。警察の威信にかけて、一刻も早く事件を解決に導かなければならない。けれど、こうまで犯人に繋がる手掛かりがないと状況証拠だけで犯人を見つけなければならなくなる。

 犯人のプロファイリングは進めているが、あまり参考にはなりそうにない。


「『犯人には強い承認欲求があると推定される』か。そんなものは分析するまでもない」


 市川は溜息を零した。

 少年の頭部を晒し物にした理由など、世間からの関心を得体という幼稚な発想以外には無いだろう。

 余程の憎悪を抱えていて、被害者に恥辱を与えたかったという可能性もあるが、七歳の子供にそのような感情を抱く者が居たとしたら、やはり幼稚さと異常性を持った犯人という事になる。

 いずれにしても、あの犯行現場を見た者ならば誰もが思いつく犯人への印象そのままだ。

 幼稚な発想という点から未成年の犯行と考える捜査員もいたが、昨今は体ばかり大きくなった子供のような大人が社会に蔓延っている。


「管理官。現状、捜査範囲を伊山小学校と蛹内森林公園の周辺エリアに限っていますが、範囲を広げてみましょう。あるいは捜査を撹乱する為に他の場所で殺害した後、首の断面に森林公園の土を付着させた可能性もありますし……」

「……そうだな。捜査員の増員を求めてみよう」


 管理官の顔色は更に悪くなった。

 当初はスピード解決が約束されているような簡単な事件だと思われていた。

 なにしろ、手掛かりの塊である筈の遺体が住宅街のど真ん中で発見されたからだ。監視カメラをいくつかチェックするだけで容疑者を絞る事が出来て、遺体の司法解剖の結果と照らし合わせれば、それだけで被疑者確保までいけるものと誰もが考えていた。

 だからこそ、田所管理官は初動捜査の段階で暗礁に乗り上げていても捜査範囲の拡大や捜査員の増員の判断を下す事が出来なかった。

 この事件は彼にとって、次のステップへ上がる為の踏み台でしかなく、その踏み台で躓く事はチャンスを棒に振るだけではなく、次のチャンスを得る機会までも失ってしまう事になる。だからこそ、市川の進言があるまで決断を先延ばしにしてしまっていた。


「犯人は衝動的でもなく、単なる愉快犯でもない。そんな事は初動捜査の段階で気付けていたのに……」


 顔を手で覆い隠しながら、田所管理官は深く息を吐いた。


「切り替えましょう、管理官」

「……ああ」


 ◆


 立花警部と佐伯が捜査員の増員の話を聞いたのはタッグを組んでから三日目の事だった。

 二人は蛹内市内をくまなく歩き回り、犯人が使った可能性のある経路をある程度まで絞り込む事が出来ていた。もっとも、その経路以外は監視カメラに映ってしまうからという消去法によるものだが。


「どう思いますか?」

「ようやくと言ったところだな」


 立花警部は渋い表情を浮かべて言った。


「本来ならば、初動捜査の段階で踏み切るべきだった。だが、これで捜査は進展するだろう」

「そうですか?」


 捜査が進展するという立花警部の言葉に佐伯は疑問を持った。


「何度も森林公園と伊山小学校の間を往復して思いましたが、どう考えても労力に見合ったメリットが思いつきません」


 地元の警察官である佐伯でさえ、一回の往復だけではその経路に設置されていた監視カメラを全て見つけ出す事が出来なかった。どの経路も最低三回は往復する羽目になった。それを思いつく限りの全ての経路で繰り返す事は苦行にも等しい。その結果として得られるものが小学校の前で被害者の頭部が発見される事だけというのがどうにも気に掛かった。


「もっと、根本的な部分に焦点を合わせるべきではありませんか!? 何故、犯人は結崎悠斗くんを殺害したのか? 何故、犯人は彼の頭部を切断したのか? 何故、犯人はその頭部をわざわざ伊山小学校の前に置いたのか? その謎を解く為には被害者の交友関係などを洗うべきです!」

「そっちは別の捜査官達が担当している。誤解しているようだが、私達がしている事は事件の全貌を掴む為の断片集めだ」

「分かってます! ただ、どうしても市外の人間の仕業とは思えないんです」

 

 ただの通り魔である筈がなく、無差別殺人の線もない。

 この事件には監視カメラに一切映り込んでいない事から、恐ろしく緻密な計画性を感じる。そして、悠斗くんの頭部を彼の母校の前に置いた事からも、犯人は悠斗くんを狙って殺害した筈だ。

 そう考えると、やはり犯人は悠斗くんを知っている人間という事になる。七歳の少年の交友関係などたかが知れている。


「親類縁者や友人知人。その中に犯人がいる筈です!」

「……そう考えたくなる気持ちは分かる。だが、その可能性は初動捜査の段階で徹底的に潰されているんだ。そもそも、悠斗くんをターゲットに選んでから彼の事を調べ上げた可能性もある。むしろ、母校に頭部を晒すという行為には悠斗くんに対する憎悪よりも、異常なまでの自己顕示欲を感じる。無いとは言い切れないが、親類縁者や知人が犯人だと思い込む事は禁物だ」

「すみません……」

「いや、疲れて視野が狭まっているのだろう。今日はここで切り上げる。明日からは警察犬も増員されると聞くからな。我々もそちらに協力しよう」

「警察犬ですか? 今更……」

「今だからこそだ。死体の腐敗は冷却設備があれば遅らせる事が出来る。だが、止める事は出来ない。犯人が未だに頭部以外の死体を手元に置いているならば、腐敗が進行し始めている頃だ」

「で、ですが、とっくに遺棄していたら……」

「その場合も街中を警察犬がくまなく捜索すれば発見出来る筈だ。香水を振りまこうが、水で洗おうが、他人の匂いがこびり付いた衣服を身に纏おうが、警察犬の鼻を欺く事は出来ない。今度こそ、何らかの痕跡を見つけてくれる筈だ」

「はぁ……」


 だとしたら、初動捜査の時に何かを発見している筈ではないかと佐伯はどうにも警察犬を信じる事が出来なかった。

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