第三話『無くした体』
ゆうちゃんの死がテレビで報じられた日、家の電話が鳴った。打ち拉がれている両親の代わりに出たわたしの耳に飛び込んで来たのは『幼い子を一人で外出させるなんて無責任にも程がある! 息子を死なせたのはお前達だ!』という言葉だった。
スピーカーにしていたわけではないけれど、声が大きかったからかパパの耳にも入ったようだ。とても怖い顔でパパは電話を床に叩きつけた。壊れた電話を見つめながら、わたしは茫然となった。
そんなわたしをパパは強く抱きしめた。パパもママも何も言わなかったし、わたしも何も言えなかった。頷く事は出来ないけれど、否定する事も出来なかったからだ。
あの日、ゆうちゃんが遊びに出掛けるのを止めていれば、今もゆうちゃんは生きていた筈だ。そう思うと、電話口から聞こえた言葉は核心を突いている気がした。
あれからパパは夜遅くまで仕事をして、帰って来ると深酒をして直ぐに眠るようになった。ママは食事の準備だけを済ませると毎日外出している。警察が当てにならないからと自分で聞き込みをしているらしい。
パパもママも壊れかけている。それでも必死に持ち堪えようとしてくれている。
わたしは一日の大半をゆうちゃんの部屋で過ごしているけれど、早朝だけは郵便ポストの中身を処分する為に外に出ている。電話が繋がらないからか、毎日ポストにギッシリと手紙が入るようになった。昼間は人目があるからか、夜になってからこぞって入れに来ているみたいだ。内容はどれも似たり寄ったりだけど、パパとママには魅せたくなかった。ただ、中には大事な内容の手紙も混ざっているから、中身を確認しないで捨てる事は出来なかった。
『可愛そうな悠斗くん。馬鹿な家族のせいで死んだ』
『無責任にも程がある。幼い子供を放ったらかしにするなんて、まさにネグレクトだ』
『死ね』
『子供が死んだのによく生きていられるもんだ。普通の神経なら耐えられない。ひょっとして、お前達が殺したんじゃないのか?』
パパとママはゆうちゃんの部屋に入って来ないから、わたしは手紙の仕分け作業に没頭する事が出来た。ただ、読む度に体がカタカタ震えた。
ある時からポストの手紙がなくなった。そして、浩介が大事な手紙だけを持って来るようになった。どうやら、ずっと前から様子を見に来てくれていたらしい。たまたま早朝にわたしが手紙を回収している所を目撃して、翌日にわたしが起きるより前にポストの中身を見たらしい。わたしはかなり暗い表情を浮かべていたみたいで、それが気になったからだと言っていた。
手紙を仕分けて持って来ると、彼はそのままわたしの傍に居るようになった。
「……学校、行かなきゃダメだよ」
「蘭子が行くなら行く」
同じ問答を何度も繰り返した。まさに堂々巡りだ。
「おじさんとおばさん、怒ってない?」
「留年だけはするなってさ」
「出席日数が足りなくならない?」
「今まで無遅刻無欠席だからな。まだまだ余裕だろ、お互い」
「……そうだね」
口では遠ざけようとする癖に、彼が離れずに居てくれる事にホッとしている。
そんな自分に呆れていると、不意に異臭を感じた。
「……ねえ、浩介」
「なんだ?」
「ひょっとしてなんだけど……、わたし、くさい?」
「何言ってんだ?」
浩介は首を傾げた。
「一週間も風呂入ってないんだぞ。当たり前だろ」
血の気が引いた。
「……お風呂、入って来る」
「洗ってやろうか?」
「エッチ!」
浩介の頭を叩いて、わたしはお風呂場に向かった。久しぶりに鏡を見ると、そこには酷いブサイクが立っていた。髪はボサボサだし、目には隈が出来ている。頬も痩けていて、我ながら酷い有り様だ。
洗濯物も溜まっていた。いつも洗濯籠に入れるように言っているのに脱ぎ散らかすゆうちゃんのシャツが洗濯機の横の隙間に落ちていた。シャツの真ん中では人気のヒーロー番組の主役が勇ましいポーズを取っている。毎週、このヒーローの活躍を見る事をゆうちゃんはとても楽しみにしていた。
勇猛果敢だけど、どこか抜けている正義の味方。
「どうして、ゆうちゃんを守ってくれなかったの?」
バカバカしい。彼はテレビの中だけの存在だ。恨むなんてお門違いも甚だしい。
それでも、ゆうちゃんの危機に正義の味方が助けに来てくれていればと考えてしまう。
「蘭子、大丈夫か?」
ゆうちゃんのシャツをジッと見つめていると洗面所の扉の向こうから浩介の声が聞こえて来た。
「……うん。大丈夫」
「ここに居るから、何かあったら声出せよ」
「うん」
ゆうちゃんのシャツをそのまま畳んで、わたしはお風呂に入った。
久し振りのシャワーはとても気持ちがいい。普段よりもたっぷりと時間を掛けて髪や体を洗った。
―――― ねえちゃん……。
―――― ボクのからだ、どこ?
シャワーを浴びながら、ゆうちゃんの声を聞いた。
ゆうちゃんは体を探している。
浴室を出て、体を拭きながら考えた。
「浩介」
「どうした?」
「わたし、ゆうちゃんの体を探さなきゃ」
「警察が探してくれてる。きっと、見つかる」
「待っていられないよ。ゆうちゃん、体が無くて困ってるもの」
「……そうだな」
体を拭き終えて、わたしは気が付いた。
着替えを用意し忘れていた。
「浩介」
「ああ、俺も一緒に探す」
「そうじゃなくて、着替えを取りたいから……」
退いてと言おうとして、別にいいかと思い直した。
さっきの状態を見られた事に比べたら、裸を見られるくらい大した事では無い気がした。
少なくとも、今は大分マシになっている。わたしは堂々と洗面所を出た。
「ら、蘭子!?」
浩介は慌てて背中を向けた。
「お、お、おまっ!」
「着替えを持って行くの忘れてたの」
「い、言えよ!」
「いや、下着を持って来てもらうのは恥ずかしいし……」
「じゃなくて! 退けって言えよ!」
「だって、心配してくれてるんでしょ? 退けなんて言えないよ」
「んな事気に……、ああもう! とにかく着替えて来いよ!」
「はーい」
浩介は耳まで赤くなっていた。幼稚園に通っていた頃は平気で一緒にお風呂に入っていた仲なのに、今では一緒に入る事に特別な意味が生まれてしまっている。
だけど、悪い気分じゃない。さっきは断ってしまったけれど、今度はお願いしてみようかな。
「浩介」
「なんだよ!? さっさと着替えて来いよ!」
「わたし、きれいになったかな?」
「……お前はずっと綺麗だ」
「よかった」
丹念に洗った成果だ。わたしは着替える為に自室へ向かった。
動きやすい服を見繕って、手帳とボールペンをポケットに仕舞い込む。
充電器に挿したままにしていたスマホを手に取ると、通知が山のように来ていた。ゴクリと喉を鳴らしながら開いてみると、親戚や友達、先生からのメッセージがずらりと並んでいた。
どれを開いても心配の言葉ばかり書いてある。
「……学校にも行かなきゃ」
スマホもポケットに仕舞って、わたしは浩介の下に向かった。
「行こう」
「あ、ああ」
浩介の顔はまだ赤かった。
「エッチ」
「お、お前なぁ!」
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