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執筆者の写真雪女 雪代

第三十四話『死体が生まれる理由』

白鳥彩音の自供の裏はすぐに取る事が出来た。

 双六堂には確かに地下室があり、そこには頭部のない少年の遺体があった。

 そこはまさしく伏魔殿だった。


「……これが人間のやる事なのか?」


 結崎悠人少年の遺体を見つめながら、佐伯は呟いた。

 首が切断されているだけでも可哀想なのに、その体は変態爺によって弄ばれ、穢されていた。

 周囲には悠斗少年以外にも被害者が存在した事を示す写真や動画の記録媒体が散乱している。


「悪魔だ! これは悪魔の所業だ!」

「……落ち着け、佐伯!」

「落ち着け? 落ち着けですって!? これを見て、落ち着ける人間なんている筈が無いでしょう!?」


 悠斗少年は七歳だった。生きる理由はあれど、殺される理由など無かった筈だ。

 その少年の命を奪うだけでは飽き足らず、その尊厳までも穢し尽くすなど、まさに悪鬼羅刹だ。


「気持ちは分かる。だが、もう終わった事だ」

「……どういう意味ですか?」

「悠斗くんを殺害し、辱めた男は既に殺害されている。本来ならば司法が裁くべき男だったが、死んだ者を罪に問う事は出来ない」

「ですが、まだ娘の葵がいます! アレを野放しになど出来ません! 一刻も早く捕まえて、死刑台に送ってやらないと!」

「……その通りだが、はてさて、どうなるかな」

「立花警部……?」


 立花警部はチラリと佐伯の顔色を伺うと、深くため息を零した。


「恐らく、お前の期待通りの結果にはならんだろうな」

「どういう事ですか?」

「大した罪には問われないだろうという事だ」

「何故です!? このような惨状を生み出した悪魔なんですよ!?」


 佐伯の言葉に立花警部は首を横に振った。


「状況からしても、ゲーム・メーカーのこれまでの犯罪傾向からしても、手を下したのは手塚忠彦だろう。葵に唆された可能性は否定し切れないが、それを証明する事は不可能だろう」

「ど、どうして……」

「そこの写真を見れば分かるだろう」


 立花警部は一際大きな額縁に入れられた写真を指差した。そこに映る少女の顔には既視感があった。

 額縁の下には葵の名が刻まれている。


「……これは」

「葵は忠彦の被害者の一人という側面を持ってしまっている。多少は関与していても、脅されていたと証言されたら、それで仕舞いだ」

「で、ですが! 白鳥彩音の証言に依れば、彼女をこの空間に導いたのは葵だったとの事! 葵は白鳥に忠彦を殺害させようと誘導したんだ! その方向から攻めれば!」

「殺人犯の証言だぞ」


 立花警部は苦虫を噛み潰したような表情で言った。


「しかも、前科を持っている」

「で、ですが、前回の殺人も真犯人は葵であり、彼女は冤罪だったと!」

「それも本人が言っているだけだ。今更、再捜査をした所で証拠など見つかる筈がない! 彼女は前科持ちの殺人犯として裁かれる。そして、そんな女の証言では起訴する事など出来んだろう」

「そんな……」

「ゲーム・メーカーとしての過去も宇喜多を初めとした犯罪者達の証言が主だ。彼女を一連の事件の黒幕として裁く事は到底不可能だろう」

「では、あの女を野放しにすると言うのですか!?」

「無論、逮捕はする。だが、長くても数年の懲役が精々だろうな……」

「……なんだ、それ」


 何人もの人間を死に追いやって来た猟奇殺人鬼だと分かっているのに、罪に問えない?

 死刑が妥当な程の大悪党なのに、たった数年でまた娑婆に出てくる。そして、恐らくは再び人を殺す。


「さあ、そろそろ鑑識が来る頃だろう。彼らと交代して、我々は手塚葵の捜索に向かおう」

「……何の為に?」

「警察官としての職務を全うする為だ」

「警察官の職務って、何なんですか……?」

「街の治安を守る事だ」


 佐伯は動く事が出来なかった。自分が何の為にここにいるのか分からなくなったからだ。

 

「……少なくとも外に出よう」


 立花警部は優しく諭すように佐伯の背中を押した。

 外に出て、やって来た鑑識と合流した後も佐伯の心は凪いだままだった。

 


「分かるよ、佐伯。俺だって、昔は悩んだものだ」

「……悩んで、答えは出たんですか?」

「出ていたら、お前に教えてやれたんだろうがな。今も悩んだままさ」

「そうですか……」

「ひとまず、お前は署に戻れ。私はこのまま手塚葵の捜索に向かう」


 そう言い残して、立花警部は去って行った。

 残された佐伯は天を仰いだ。そこには子供の頃と変わらない空が広がっている。

 

「……お巡りさんは正義の味方じゃなかったのかよ」


 ずっと昔の話だ。佐伯は子供の頃、ヒーローに憧れていた。

 テレビや映画に出て来るような、悪を挫き、人々に安心と笑顔を与えるヒーローになりたいと思っていた。そして、佐伯にとっての一番のヒーローは近所の交番にいたお巡りさんだ。

 大した事があったわけじゃない。佐伯が虐められていた時に間に入って、イジメっ子に説教をしてくれただけだ。だけど、それが嬉しかった。

 佐伯にとって、あのお巡りさんは窮地を救ってくれた正義の味方だった。あんな風になりたかった。だから、警察官になった。

 組織犯罪対策係としての職務には満足していた。暴力団という分かり易い悪に立ち向かう自分が誇らしかったし、彼らの悪事を挫いた時の達成感は言葉に言い表せない程だった。

 あの頃に憧れていたヒーローになれたのだと実感した。

 それなのに、今は無力感に苛まされている。人殺しなのに、これからも殺すのに、捕まえても大した罪に問えない。そんなのはおかしい。これではその場しのぎにしかならないではないかと佐伯は歯噛みした。だけど、立花警部の言葉ももっともだった。納得出来てしまった。それが悔しくて堪らない。


「なんでだよ」


 死ななくていい人間が死んで、悲しまなくていい人間が悲しんで、笑うべきではない者が笑う。

 そんな世の中が正しい筈がない。それなのに、世の中を形作る法律はあの悪魔を裁かない。


「……ゲーム・メーカー」


 佐伯はゆっくりと歩き出した。

 とにかく、あの悪魔にこれ以上の凶行を許してはいけないと思ったからだ。

 宛があったわけじゃない。それはただの直感だった。

 過去の事件を洗う中で知り得たゲーム・メーカーが持つ、底知れぬ悪意。その矛先が向く方向に歩を進めた。

 

―――― 何故、ゲーム・メーカーは白鳥に忠彦を殺害させたんだ?

 

 実際に白鳥は忠彦を殺害した。けれど、彼女と悠斗少年の関係はあくまでも教師と生徒だ。殺害には至らなかった可能性もある。その場合は白鳥を殺害していたのだろうか? それはあまりにも計画が杜撰だ。それよりも、本来は別の人間に殺させようとしていたと考える方が自然だろう。

 より確実に忠彦への殺意を抱く人物。悠斗少年の母である結崎友枝。彼女は白鳥と行動を共にしていた。そして、葵は彼女にこそ忠彦を殺害させようと目論んでいたのではないか? だから、地下室に招き入れた。けれど、白鳥は彼女に先んじて忠彦を殺害した。それはもしかしたら生徒である悠斗少年の為だったのかもしれないし、友枝に対する友情の為だったのかもしれない。

 

「悠斗少年だけに飽き足らず、母親にまで殺人者の汚名を着せるつもりだったんだ……」


 そして、その悪意はまだ止まっていない可能性がある。

 果たして、その推理とも言えぬ直感の赴くままに結崎の家に向かって行くと、その途上に彼女はいた。それは彼の直感の正しさを証明していた。


「ゲーム・メーカーだな?」

「ええ、その通りよ、お巡りさん」


 無邪気な笑みだった。仮にも義父が実姉によって殺害された直後とは思えない程に晴れやかな顔だ。

 まるで、これから何かお楽しみがあるかのようだ。


「……そうか」


 この女はあの少女にまで魔の手を伸ばすつもりだ。

 ブルーシートの前で止めてあげる事が出来ず、彼女は弟の生首を見てしまった。何度も何度も弟の名前を叫んでいた。


 ―――― ゆうちゃん! ゆうちゃん! ゆうちゃん!


 あの悲痛の叫びが脳裏に木霊している。

 だから、俺は――――、


「……え?」


 その首を鷲掴みにして、そのままゲーム・メーカーを押し倒した。

 彼女は必死に抵抗しようとした。爪を立てて、足をバタつかせて、必死に逃れようとした。


「ゲーム・メーカー。俺は分かったぞ」

「がっ……、やめ……、はな……ァガ」


 何故、結崎悠人が殺害されたのか?

 その答えにようやく行き着いた。


「し……、しぬ……やめて……、はな……、グェ……」

「殺したかったから、殺したんだな。ああ、本当に最悪だ」


 佐伯は嗤った。


「俺は|殺人鬼《お前達》を理解してしまったぞ。理解出来ない怪物を理解してしまった」


 その瞳からは涙が零れ落ちた。


「……ァ……、ガ……、ァァ」

「お前のせいだ。お前のせいで……、俺も|殺人鬼《ヒトデナシ》になってしまった」


 抵抗が弱まっていく。それでも、力を抜く気にはなれなかった。

 人を殺す事は悪い事だ。そんな事は分かっている。それでも世の中から殺人事件が無くならない理由。死ぬべきではない者の『死体が生まれる理由』。

 殺したいからだ。殺したいから、人は人を殺すのだ。

 その単純な答えに今の今まで辿り着けなかったのは、まだ人間だったからだ。

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