top of page
執筆者の写真雪女 雪代

第三十二話『手塚 葵』

楽しい時間はすぐに終わってしまう。お姉ちゃんが捕まるのは時間の問題だ。そうなったら、私の正体もバレてしまう事だろう。

 この事件で私は誰も殺していない。唆してすらいない。けれど、警察は私を黒幕の如く考え、捕えようとして来るだろう。

 それは困る。非常に困る。私はまだフィナーレを見ていない。

 お姉ちゃんのせいでメインディッシュを食べ損ねてしまったのだから、デザートくらいはしっかりと味わいたい。


「ああ、楽しみだわ」


 私は小説が好きだ。読んでいると心を揺さぶられて、様々な感情が浮かんで来るからだ。

 ミステリを読んでいる時は事件に怯え、被害者を哀れみ、犯人に対する怒りが湧いてくる。

 恋愛小説を読んでいる時は可憐な女性や素敵な男性に恋をする。

 SF物を読んでいる時は未知の科学にワクワクして、難しい用語を覚える度に自分が賢くなったように感じる。

 歴史小説を読んでいる時はまさにタイムスリップを経験しているような感覚に陥る。歴史が動く瞬間に立ち会う感動、歴史に名を残した英雄と巡り合う興奮、その歴史を時には自分の手で動かし、未来を変えてしまった重責を感じる事もある。

 ファンタジー小説では剣と魔法で戦ったり、時には領地経営に乗り出してみたり、魔王として世界を滅ぼそうとする事もある。

 小説を読んでいる時の私はいつだって主人公だ。だけど、本のあとがきを読み終えて顔を上げた時、私は現実に引き戻される。

 現実の私は没個性の有象無象の中の一人に過ぎない。小説の中と比べて、あまりにも退屈な世界の退屈な人間だ。ミステリのように探偵を必要とするような事件は起こらないし、恋愛小説のような情熱的な恋とは無縁だし、人智を超えた現象や経験もない。

 それが普通なのだと頭では理解しているけれど、だからこそイヤなのだ。

 くだらない日常。くだらない世界。いっそ、全部壊れて欲しい。人に聞かれたらバカにされる。だけど、それは間違いなく私の本心だ。だから、私は暇さえあれば小説を読む。小説を読んでいない時間は妄想に耽る。

 だけど、やっぱり現実はどこまでいっても現実でしかない。だから、私は人を殺した。

 岩瀬元也は私にとって、一番大切な男の子だった。そう思えるように努力した。その方が殺した後に悲劇性が生まれて、より主人公らしくなると考えたからだ。

 彼を選んだ理由は単純だ。彼がクラスのイジメっ子だったからだ。彼はクラスの嫌われ者だったけれど、体が大きいから誰も逆らえない。暴力だけで支配者の座についていた。小学生の頃の私にとって、彼は理想的な悪だった。

 悪しき怪物を愛する私。悪しき怪物を討ち滅ぼす私。悪しき怪物の死を悲しむ私。

 ああ、なんて切なくも美しい物語だろう。彼を殺した時に感じた恍惚には大人になってから嗜むようになった如何なる美酒も敵わない。

 彼の悪意を生み育てた邪悪の根源を討ち滅ぼし、その死を堪能しているとお姉ちゃんがやって来た。

 まさにドラマチックな展開だと私は浮かれた。物語において、主人公の窮地には必ず救いの手が差し伸べられる。|主人公《わたし》にとってのそれはお姉ちゃんだった。彼女は私の罪をすべて被ってくれた。

 お姉ちゃんが捕まった後、我が家の電話は昼夜を問わず鳴り続けた。殺人鬼の家族として、私達には悪魔の一族というかっこいいレッテルが貼られ、母は常用するようになっていた睡眠薬を大量に飲み込んで自殺した。少なくとも、父はそう信じながら後を追った。実際には私が母に睡眠薬を無理矢理飲ませて殺したのだけど、誰も他殺を疑わなかった。

 父が震えながら私を抱き締めた時、笑いを堪える事が大変だった。そして、几帳面な私は父を殺す為の方法を色々と研究して、最終的に睡眠薬で眠らせた父の手首をカミソリで切って、水を張った浴槽に沈めた。蓋を被せて、その上にありったけの重りを乗せて、起きた父が浴槽の中で暴れまわる音を堪能した。

 父の事も警察は自殺で処理してくれた。正直、拍子抜けも良いところだった。カミソリに父の指紋を付けたり、いろいろと工夫を凝らしはしたけれど、多少は疑われる事を期待していた。その時に浮かべる予定だった悲しみの表情は警察の前ではなく、葬儀の場で披露する事になった。

 姉が殺人鬼になり、両親が自殺を遂げた私を哀れに思った親戚の砂川雅美が葬儀を取り仕切り、私の面倒まで買って出てくれた時はあまりにも都合が良くて万能感に浸ったものだ。

 次はこの女を殺そうと思った。だけど、さすがに身近な人間を殺し続けていたら警察に感づかれるかもしれないと考えて、思い直した。その頃には主人公になりたいとは思っていなかった気がする。それ以上に夢中になれるものがあったからだ。それはお姉ちゃんに纏わるニュースを見る事だ。

 世間はお姉ちゃんを悪魔と罵り、あらゆる過去や個人情報を掘り返した。アルバムの写真も公開され、ありもしない彼女の闇をコメンテーターが喜々として語っていた。あまりにもおかしくて、笑い死ぬかと思った。人畜無害なお姉ちゃんの闇を捏造するメディアや世間こそ、闇の塊ではないかと吹き出しながら、お姉ちゃん自身はどう思っているのかと想像した。

 きっと、絶望している事だろう。それが私の心を大きく揺さぶった。それは人を殺した時以上の興奮だった。私はその時になって初めて、自慰という行為に及んだ。

 ああ、この世界はなんて面白いんだろう。私の目には世界が光り輝いて見えた。そして、私は彼と出会った。

 糸田幸宏という年上の少年だ。彼はどこにでもいる平凡な男の子だった。だからこそ、染めやすかった。私は彼を誘惑して、様々な快楽を教え込んだ。暴力を振るう楽しさも念入りに教えてあげた。私の体には、あの頃に彼に刻み込まれた傷跡がいくつも残っている。私の愛しい暴君は私が教えてあげたゲームを喜々として遊んでくれた。『生贄ゲーム』や『チャレンジゲーム』を通して、人と人の関係が壊れていく様を間近で堪能させてもらったし、彼が私に代わって壊してくれた人間の有り様は今も心のフィルムに残してある。彼が捕まった時はとても残念だった。姉と違って、彼は掛け値なしの悪党だから、世間やメディアもありのままの評価しか下してくれなかった。実につまらない結果だった。

 だから、次の遊び相手は本人達と世間やメディアの評価がズレるように気を付けた。だけど、やっぱりお姉ちゃん以上の興奮は得られなかった。結局、気を付けたつもりでも世間は彼らを『悪意あるゲームを楽しんだ愚か者達』と評し、期待していた程のズレは生じなかった。

 やはり、穢れなき純白が穢れる事こそが至上なのだと気が付いた。


「本当は結崎友枝に殺して欲しかったのよねぇ」


 殺人鬼に息子を殺された哀れな母親が誤った相手を殺害する。

 その時の世間の反応は、きっと私の期待に応えてくれる筈だと思った。

 それなのに、お姉ちゃんが出しゃばって来た。手頃な場所にわざと置いておいた包丁を友枝が手に取ると、お姉ちゃんはその包丁を奪い取って、自分で忠彦を殺してしまった。

 殺人鬼ではなかったお姉ちゃんが本物の殺人鬼になる。それはそれで悪くないのだけど、やっぱり、友枝に殺して欲しかったというのが本音だ。

 だけど、まだまだとびっきりの爆弾が残っている。その爆弾が起爆する瞬間を見届けるまでは警察になど捕まっていられない。どうせ、私の犯した罪では死刑どころか、懲役刑でも数年が精々だから気楽なものだ。刑務所暮らしは億劫だけど、そこでも新鮮なゲームを楽しめるかもしれない。


「……って、思ってたんだけどなぁ」


 爆弾が起爆するであろう場所に向かっていると、一人の警察官が私の前に現れた。


「ゲーム・メーカーだな?」


 その素敵な|渾名《ニックネーム》は糸田くんが付けてくれたものだ。まさか、その名で呼ばれる事が再びあるとは思わなかった。


「ええ、その通りよ、お巡りさん」


 どうやら、デザートも食べ損なう事になりそうだ。とても不満だけど、こうなっては仕方がない。

 さすがに警察官相手に武力で勝てるとは思えないし、勝ててしまったら刑務所暮らしが長くなる。

 こうなると、また次のゲームを企画する方が有意義だろう。


「……そうか」


 警察官が近付いて来る。私は大人しく両手を前に出した。

 そして――――、


「……え?」


 私は大きく目を見開きながら倒れ込んだ。

閲覧数:0回0件のコメント

最新記事

すべて表示

エピローグ『真相』

立花警部は手塚葵が隠し持っていた監視カメラの映像を再生した。そこにはたくさんの子供達がいて、悠斗少年と浩介少年が口論する様子も映っていた。 「……これだけの目撃者がいたのか」 浩介少年を盾にするようにして怯えている子供が七人もいた。...

最終話『探偵が生まれる理由』

「……蘭子」 浩介が出て来た。わたしはニッコリと天使のスマイルを浮かべて、クルリと一回転して見せる。 ふわりと広がるロングスカートに彼の視線は釘付けだ。 「どう? 可愛いでしょ」 「……あ、ああ、凄く、可愛い」 100点満点の感想だ。御褒美に撫でてあげたくなる。...

第三十六話『名探偵お姉ちゃん、出動』

事件はまだ終わっていない。その言葉を聞いて、わたしはドキッとした。 妙な感覚だ。まるで、図星を突かれたようだ。 「黙れ! 犯人は手塚忠彦だ! そして、お前が黒幕だ!」 男が声を張り上げた。けれど、葵はそんな彼を嘲笑うかのように言った。...

Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
bottom of page