第十四話『女子少年院』
- 雪女 雪代
- 2024年6月16日
- 読了時間: 6分
車を走らせる事一時間弱、佐伯は目的の女子少年院に辿り着いた。
そこは閑静な住宅街の一画にあり、とても猟奇殺人鬼を収監していた場所とは思えない。
事前にアポイントメントを取っておいたおかげですぐに院長と会う事が出来た。
「こんにちは」
「お世話になります」
院長の久保田敏江は恰幅の良い初老の女性だった。院長室に案内される道すがら、佐伯は物珍しさを感じて辺りを見回した。当然というべきか、女性の姿が多く見受けられる。
「あまりジロジロみないであげて下さい。彼女達の中には重度の男性恐怖症を患っている子もいるので」
久保田院長に叱責されてしまった。
「すみません」
確かに不躾だった。素直に謝ると、久保田院長は表情を和らげてくれた。
「年若い子が犯罪に手を染める理由は、その多くが家庭環境にあります。ネグレクトであったり、家庭内暴力であったり、一番の庇護者である筈の親が敵に回り、救いを求める事も出来ずに心を歪ませてしまう子は非常に多いのです。もちろん、みんながみんなではありませんけどね」
久保田院長は「どうぞ」と院長室に通してくれた。そして、ソファーに座るように促すと、備え付けのコーヒーメーカーでコーヒーを淹れた。
「女の子の場合、父親や兄弟から性暴力を受けた子もいます。実に卑劣で、実に残酷な行為です。当然、心には大きな傷跡が残ります。そういう子は男性に対して、一際強い恐怖心を抱いているのです。そのケアには最新の注意を払わなければいけません」
「……ですが、男性職員の姿もありましたよね?」
「女手だけでは難しい作業もありますからね。もちろん、彼らと子供達の接触は最小限に留めています。ゼロには出来ませんが、彼らはキチンと弁えた行動を取ってくれますから、大きな問題にはなりません」
「なるほど……」
なんとも、意外な人柄をしている。女子少年院を訪れるのは初めての事だが、男子の方の少年院には何度か足を運んだ事がある。その時に会った院長は少年達を犯罪者だと強調し、その更生の為に殊更厳しく当たるようにしていると言っていた。彼女の少女達に対する対応は彼とは正反対に思えた。
「性善説を唱える気はありませんけど、やはり子供の犯罪は家庭環境の影響が大きいと考えています。だからこそ、更生には心の健全化が何よりも重要であり、その為のケアを行う事が少年院の責務なのです」
「……それは猟奇殺人を行った犯人に対してもですか?」
彼女の理念は傾聴に値すると思うが、このままではいつまで経っても本題に入れないと判断した佐伯は切り込む事にした。
「猟奇殺人……。そうでしたね。24年前に起きた『岩瀬一家殺害事件』の犯人、羽村真理恵の事を聴きにいらしたのでしたね」
「はい。今更と思われるかもしれませんが、今回、蛹内市で発生した結崎悠人君殺害事件に関係がある気がするのです。なので、彼女について詳しくお話を伺いたいのです」
佐伯の言葉に久保田院長は深く息を吐いた。
「24年前、私はここで働いていました。羽村真理恵の事も知っています。さすがにおぼろげになっていますが、多少の事は話せると思います。ですが……」
彼女は佐伯を睨むように見つめた。
「少年院は子供の更生を促す場所です。その為には彼らのプライバシーを守る事が何よりも大切なのです。それが信頼関係を生み、彼らの心と触れ合う為の第一歩になるからです。なので、彼らの個人情報については適切な法的手続きや権限の下でのみ開示します」
「……詳しく知りたければ令状を取ってこいと言う事ですね?」
「それだけの確信がなければ渡せません。例え、24年前の猟奇殺人事件の犯人だとしても」
「何故とお聞きしても構いませんか?」
「最後の拠り所となる為です」
彼女は言った。
「一度犯罪に手を染めた者に世間の目はとても厳しい。自業自得と言えばそれまでですが、未成年の子供達が背負うには重過ぎる十字架です。その十字架を共に背負ってくれる家族や友達がいる子もいます。けれど、そういう人がいない子もいるのです。そのまま十字架に押し潰されてしまえば良いと思いますか? 押し潰された結果、自死を選んだり、再び罪を犯す事が正しい事だと言えますか?」
「それは……、正しくないと思いますが……」
「十字架に押し潰される前に心を休められる場所でありたいのです。ここが彼女達の最後の砦であり、誰に疑われても、誰に疎まれても、ここでは信じてもらえる。そう信じてもらえる場所である事。それが子供達の更生には必要な事なのです」
彼女の理念は実に立派なものだと思う。けれど、それで犯人の糸口を掴めるかもしれない情報を隠されてはたまったものではない。過去の犯罪者を守る為に今の善良な人々を危険に晒すなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「分かりました……。次は令状を取ってきます」
そう言いつつも、捜査令状を取れるかどうかは分からなかった。何しろ、24年前の事件と関係している可能性があるというのは、あくまでも佐伯の個人的な見解だ。令状の取得には『捜査の必要性の証明』が必要だ。それに、申請が通ったとしても発行に時間が掛かる場合がある。自由時間内に再度の来訪は難しいだろう。
「……羽村真理恵は魅力的な子でした」
不意に久保田院長が呟いた。
「え?」
「笑顔が魅力的で、穏やかで、誰に対しても優しく、それでいて芯の強い子でもありました」
「……罪のない一家を皆殺しにした人間ですよ?」
「ですから、冤罪なのではないかと疑いました。裁判所や捜査官にも問い合わせをしたくらいです」
「冤罪だったのですか?」
「いいえ。確たる証拠がありました。彼女自身、殺害した事実を認めています。ですが、何か理由がある筈だと思いました。きっと、並々ならぬ理由があったのだと。被害者にこそ、殺されるに足る理由があった筈だと」
「……殺害された被害者を疑ったんですか?」
佐伯の言葉に久保田院長は表情を歪めた。
「ここに来る子の中には殺人を犯した子もいます。ですが、私はそのすべてを悪だとは断じる事が出来ません。過度な虐待で精神と肉体を追い詰め、もはや自死か殺人以外の選択肢がないまでの状態に追いやった者などはそれこそ自業自得ではありませんか? 殺人はもちろん罪です。ですが、情状酌量は裁判でも考慮されるものです」
「……羽村真理恵もそういう理由があったからこそ犯行に及んだという事ですか?」
「それは……」
久保田院長は俯いた。
「……何もありませんでした」
「え?」
「彼女は殺したくて殺したと言いました。恨みなどなく、殺害した子を大好きだとも言っていました」
「……そんな人間でも守りたいんですか?」
「そうです」
彼女はキッパリと言った。
「だから、私は女子少年院の院長を務めているのです」
犯罪者を守りたい。そんな人間がいるなどとは夢にも思わなかった。
女子少年院を後にして、佐伯はそれまで考えた事もなかった事を考えた。
犯罪者と悪はイコールではない。犯罪者にも事情がある。
佐伯にとって、犯罪者は理解の及ばない人外だった。けれど、久保田院長は彼らを人間として見ていた。その新しい価値観は彼の心を揺らしていた。
「……裁判所に行く前に寄ってみるか」
佐伯はダメ元で令状を取る為に裁判所へ向かっていたが、途中でナビを入力し直した。
向かう先は刑務所だ。そこには佐伯が捕まえた犯罪者が収監されている。
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