『ゲーム・メーカー』砂川葵が引き取られた高藤家は県境を跨いだ先にあった。インターホンのボタンを押すと、中からは細身の老婆が現れた。彼女が家主の高藤早苗だろう。砂川の義母だ。
「……どちらさま?」
「急に押し掛けてしまい申し訳ございません。わたくしは警視庁捜査一課の立花です」
「け、警視庁……?」
早苗は警視庁という言葉に狼狽えだした。
「警察の方が……、一体わたくしに何の御用でしょうか?」
彼女は警戒心を顕にしているが、別段、妙な反応というわけでもない。
聞き込み調査の為に一般家庭を訪問すると得てしてこういう反応が多い。
立花は彼女に落ち着くための時間を与える為か、一拍置いてから本題を切り出した。
「高藤さん。あなたの|義娘《むすめ》の葵さんについて、お話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
葵の名前を出した途端、早苗の表情は一変した。肌から色が失われ、彼女は死刑執行を言い渡された受刑者の如く、絶望の表情を浮かべている。
これは些か妙だ。佐伯と立花警部は顔を見合わせた。
「高藤さん。隣県で発生した『結崎悠斗くん殺害事件』の事は御存知ですか?」
「……は、はい」
立花警部が切り込むと、彼女はか細い声で答えた。その反応を見て、佐伯は彼女が今回の事件における決定的な情報を持っているに違いないと思った。
「その事件に娘さんが関与している可能性があります。何か、御存知の事は御座いませんか?」
「……し、知りません」
彼女は視線を逸らしながら言った。わざとかと思うほど、露骨に怪しい。
「では、何故、そのように動揺なされているのですか?」
立花警部は逃さぬとばかりに踏み込んだ。
「し、知らないのは本当です! ただ……」
早苗は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたまま黙ってしまった。
「ただ、なんですか?」
けれど、立花警部は追求の手を緩めなかった。
「既に二人の人間が殺害されているのです! 何か御存知ならば、教えて下さい!」
「……ふ、二人? テレビでは子供が一人って……」
「二人目の犠牲者が出ました。もっとも、二件の事件が同一犯によるものかは調査中ですが……」
その時だった。佐伯のスマホの着信音が鳴り響いた。
佐伯は早苗と立花警部に謝りながら電話に出て、その用件を聞いた瞬間に「ええ!?」と叫び声を上げてしまった。
「ど、どうした?」
「た、立花さん! 手塚忠彦殺害に使われたと思われる凶器が発見されました! その凶器に白鳥彩音の指紋が検出されたそうです!」
「なんだと!?」
「て、手塚忠彦ですって!?」
佐伯の報告に目を見開いたのは立花警部だけではなかった。
「え? た、高藤さん?」
「今、手塚忠彦と言いましたよね?」
「は、はい……」
頷きながら、佐伯はしまったと思った。まだ、公表されていない情報を第三者に漏らす事は重大な規定違反だ。
「……手塚忠彦を御存知なのですか?」
佐伯が狼狽えていると、立花警部が早苗に問い掛けた。
「それは……」
早苗は視線を彷徨わせた。それは何とか誤魔化す方法がないか探っているかのようだった。けれど、しばらくすると彼女は観念したように口を開いた。
「……ええ、知っています」
そして、彼女は罪を告白するように言った。
「私はあの男に葵を売ったんです」
「……え?」
佐伯と立花警部は顔を見合わせた。
「それは一体……」
「文字通りの意味ですよ。あの男は葵に邪な感情を抱いていました。小児性愛者だったのです。そんな男に私は……」
衝撃的な事実を口にしながら、彼女は悔いるように俯いた。
「……当時、私は精神的に不安定になっていました。葵が原因ではありません。夫が浮気をしていたのです。ただ、その確証を得ようとしていた矢先に葵の保護司に選ばれて……、御存知かもしれませんが、保護司になる事を拒否するには相応の理由が必要になります。その説明がし難い状況だった為、私は受け入れざる得ませんでした」
夫が浮気している状況で元殺人鬼の少女の面倒を見る。想像を絶する状況だ。
彼女が言い難そうにしていた理由が分かった。
「葵との生活自体に不満はありませんでした。私の感情の矛先の大半は夫に向いていたからです。私にとっては殺人ゲームの立案者よりも、浮気をしている男の方が重罪人でしたから」
佐伯と立花警部は少し気まずそうに視線を泳がせた。
「ある日、私は銀行にお金を下ろしに行きました。すると、通帳の残高がほとんど無くなっていた事に気がついたのです。もちろん、葵は関係ありません。彼女には暗証番号も教えていませんし、カードや通帳は常に私と夫だけが知っている金庫の中に仕舞っていましたからね。つまり、犯人は夫だったわけですよ。あの男は浮気相手の女の為に我が家の全財産を注ぎ込んでしまったのです!」
当時の怒りを思い出しているのだろう。早苗の声は荒々しくなっていった。
「……そんな時、あの男が現れました。どうやら、葵の事は以前から知っていたようです。葵も彼の事を知っていました。ただ、葵はその時、あの男を『小田桐先生』と呼んでしました」
「小田桐だと!?」
立花警部の大声に佐伯と早苗は飛び上がった。
「た、立花さん!?」
彼は慌てたように手帳を捲り始めた。そして、あるページを開いて佐伯に見せた。
「宇喜多が言っていた男だ」
その言葉で佐伯も遅ればせながら気がついた。
宇喜多のクラスの担任であり、生徒に手を出してクビになった男だ。
「では、小田桐が手塚忠彦だったという事ですか!?」
佐伯は早苗を問い質した。二人の警察官のあまりにも大仰な反応に戸惑いながら、彼女は頷いた。
「そ、そうです。聞いた所によると、一度結婚して姓が変わったのだと言っていました。そして、彼は葵を自分が引き取ると言い出したのです。目が眩むような大金を見せながら……」
早苗は恥じるように言った。
「その男が葵に向ける視線の異常さには気がついていました。ただ、葵自身は彼に懐いている様子でしたし、その……、私にはお金が必要でしたから……、だから……」
保護司として接し、養子縁組まで結ぼうとした少女を彼女は売り渡してしまったらしい。
夫の浮気を暴露して、養子縁組の話を破断にして、そこに手塚を滑り込ませた。保護司となる程に政治や法律に精通していた彼女にとって、それはあまり難しい事では無かったようだ。
「あの男の過去を知ったのは、葵を売った後でした。言葉を無くす程、悍ましい男でした。けれど、私は彼からお金を受け取ってしまった……」
だから、誰にも言えなかったらしい。夫とも離婚してしまった彼女にとって、手塚から渡されたお金は生命線でもあったからだ。
「私が話せる事はこれだけです……」
そう言って、彼女は締め括った。
◆
「……繋がったな」
「ええ、そうですね」
葵という名前を聞いた時から、脳裏にチラついてはいた。
手塚忠彦の娘、手塚葵。彼女こそ、『河川敷集団リンチ事件』や『ホームレス連続生き埋め事件』で犯人達に殺人ゲームを立案したゲーム・メーカーだったわけだ。
「……けど、これは」
「とにかく、一度署に戻るぞ」
手塚忠彦殺害事件の犯人が葵ならば話は簡単だった。けれど、彼を殺害したのは白鳥彩音だ。
猟奇殺人鬼が二人も絡んでいるせいで、あと一歩の所で足踏みさせられている気分だ。
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