嘗て、羽村真理恵の名で岩瀬一家を惨殺した猟奇殺人鬼、白鳥彩音は不気味な程に素直だった。
抵抗する素振りを一切見せず、捜査官の指示に従っている。
「……何を企んでいる?」
佐伯は思っていた事を口に出してしまったのかと思って慌てた。けれど、その言葉を口にしたのは彼ではなく、隣に立っていた立花警部だった。彼も同様に不気味さを感じているようだ。
パトカーで署に連行すると、間を置く事なく取り調べが始まった。
まだ、事件が終わったわけではないからだ。彼女はあくまでも手塚忠彦殺害の犯人であり、結崎悠人少年を殺害した犯人ではない。だが、彼女は結崎悠人少年殺害事件の重要な手掛かりを握っている事は間違いない。
取り調べを行うのは本庁捜査一課の|祠堂《しどう》警視だ。
◆
取り調べ室の雰囲気は静かで、緊張感が漂っていた。
祠堂は持ち前の洞察力を駆使して、眼の前の女性を見つめた。そして、自分の洞察力に自信を失いかけた。
彼女は殺人犯だ。過去にも猟奇的な事件を起こしている。それなのに、祠堂の目には彼女が殺人などとは無縁な人間に見えてしまう。
所詮は見た目だけの第一印象だと切って捨てる事は出来ない。祠堂はこれまで、数多くの犯罪者と対面して来た。そして、一瞥しただけで彼らの本性を|尽《ことごと》く看破して来た。
別に超能力を持っているわけではない。心理学や人間学の応用だ。その人間の顔や体躯には生きて来た環境が映り込み、その人間の仕草には性格が反映される。
祠堂の洞察力は白鳥彩音という女性は穏やかで優しく、人に愛される人間だという結論を下した。
「……白鳥さん」
祠堂は慎重に言葉を選んだ。
彼女が己の洞察力を欺く程の曲者ならば、一筋縄ではいかないと考えたからだ。
「白鳥さん。今回の事件に関して、あなたの立場をわたしは理解したいと考えています」
「はい」
「まず、手塚忠彦氏殺害の件から話しましょう。彼を殺害したのはあなたで間違いありませんか?」
「はい……、間違いありません。私があの方を殺害しました」
彼女は申し訳無さそうに、けれども淀みなく殺害の事実を認めた。
あまりの|潔《いさぎよ》さに祠堂は言葉を失い掛けた。
「……何故、殺したのですか?」
「彼が悠斗くんの死体を弄んでいたからです」
「なんですって……?」
祠堂は思わず聞き返してしまった。
「彼は悠斗くんの首から下を自分の布団に寝かせていました」
「ま、待ってください! 死体があったと言うのですか!? あの双六堂に!」
祠堂は愕然となり、思わず立ち上がってしまった。そのような報告は受けていない。
手塚葵女史の通報を受けて駆けつけた捜査官達は忠彦氏の遺体を発見。その後、鑑識が調査に入った。
入念な調査が行われたが、悠斗少年の遺体があった痕跡など見つかっていない。
「地下室です」
「地下室……?」
「彼はそこに以前から年端のいかない子供達を連れ込んでいたようです」
嘘を言っているようには見えない。けれど、地下室が発見されたという報告も受けていない。
「その地下室の位置を教えてもらえますか?」
「玄関を入って直ぐの所です。ギシギシと音を立てる部分があって、そこが入り口になっていました」
確かに、双六堂にはギシギシと音を立てる床があるとの報告を受けている。けれど、それは子供達を楽しませる為の店長の遊び心だと聞いていた。
「地下室は増設したものだそうです。その工事が原因で床が軋むようになったそうです」
どうやら、遊び心云々は地下室を隠す為のカバーストーリーだったようだ。
隣接している監視室には田所管理官も来ている。恐らく、既に捜査員を送っている事だろう。
真偽の程は直ぐに分かる。今は彼女の話がすべて真実であるという前提で進めていこう。
「その地下室で忠彦氏は悠斗少年の遺体を弄んでいたのですね」
「はい……」
そこで初めて、白鳥の表情が変化した。強い嫌悪感を顕にしている。
忠彦氏が小児性愛者であるという情報を合わせると、忠彦氏が悠斗少年の遺体に何をしていたのか、ある程度は想像がつく。それこそ、殺意を抱くには十分な光景が広がっていた事だろう。
「……話を少し変えましょう。あなたは結崎友枝さんと行動を共にしていましたね? 彼女も事件に関係が?」
「ありません」
彼女はキッパリと言い切った。
「……では、どうして一緒にいたのですか?」
「悠斗くんの遺体を探す為です。結崎さんは悠斗くんの遺体の見つかっていない部分を必死に探していました。だから、私は彼女を助けたいと思って、行動を共にしました」
「そうですか……」
そこには善意しか感じ取る事が出来ない。
彼女の過去を|鑑《かんが》みれば、それはあり得ないと考えるべきなのだが、どうやら己の洞察力は完全に機能停止状態にあるらしいと祠堂は頭を抱えたくなった。
「具体的なあなたと結崎さんの行動内容を教えて下さい」
「はい。私と彼女は街中の人達に悠斗くんの事を聞いて回りました。博之くんのお母さんから話を聞いて、カードショップなどにも行きました。その時、双六堂にも一度。だけど、見つけられないまま時間が過ぎて行きました。結崎さんは日を追う毎に憔悴していきました。元気づけてあげたかったけど、私には……」
苦悩の表情を浮かべながら言葉を一度切ると、彼女は鼻を啜った。
「翔太くんの家を訪ねた時、大きな手掛かりを掴む事が出来ました。翔太くんは学校の掲示板に貼ってあったカードゲームの大会の話を悠斗くんにしたと言っていたのです。その場所が双六堂だと聞いて、私と結崎さんは顔を見合わせました。双六堂の店員さんはあの日、悠斗くんが店に来ていないと言っていたのです。つまり、嘘を吐いていたのです」
「翔太くんというのは?」
「内田翔太くん。私の生徒であり、悠斗くんのクラスメイトでもありました」
「なるほど……」
「双六堂にはなにかある。そう考えた時、私達は警察に調べた事をすべて話そうと考えました。ですが、丁度その時に蘭子ちゃんも街で悠斗くんの遺体を探している事が分かりました。私も悠斗くんの遺体があった場所に作られた献花台の前で悠斗くんに『もうすぐだよ』と報告をしようとしていた時に彼女と会って、話をしました。そして、彼女の心が壊れかけている事に気が付きました。当たり前ですね。彼女は悠斗くんを心から愛していましたから……。彼女は悠斗くんの遺体を探す事でなんとか自分を保っているようでしたから、探すなとは言えませんでした。その事は家に一度帰った結崎さんも直ぐに気が付いたみたいです。だから、私達はすぐに双六堂に向かう事にしました」
「何故ですか? 我々にその事を報告してくれていれば……」
「……私達が気付けた事を警察が気付けない筈がないと思っていたのもあります。それなのに逮捕に至っていないのは証拠を掴み切れていなからだろうと考えました。あの……、刑事ドラマとかでそういうシーンがよくあったので……」
その言葉に祠堂は押し黙った。立花警部と佐伯刑事のペアが過去の事件を洗い直した結果、警察も双六堂に行き着く事が出来たが、内田翔太くんの証言は得られていなかった。だからこそ、彼女達は警察よりも先に事件の真相へ辿り着けてしまった。
不甲斐ないと思うと同時に、彼女の教師としての能力は確かだったのだろうと祠堂は感じた。
内田家には捜査員が何度か聞き込みに向かっている。それでも得られなかった情報を彼女が容易く得る事が出来たのは、翔太少年が彼女を心から信頼していたからだろう。
恐らく、翔太少年は捜査員に対して萎縮したか、事件に関与していると思われる事を恐れたのだろう。そして、それは彼の母親も同様だったと考えられる。だから、警察には話さなかった。
「不甲斐ない話ですが、我々は翔太くんから証言を得られていませんでした」
「……ああ、そうだったのですね」
「続きをお願いします」
「はい。双六堂に向かった私達を待っていたのは店員の葵でした」
その名前を口にした時、彼女は痛みに耐えるような表情を浮かべた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。すみません」
話せば話すほど、彼女が猟奇殺人鬼とは思えなくなっていく。
何も知らなければ、彼女は冤罪だと考えてしまったかもしれない。
「……そこで葵と会ったのは二度目です。一度目の時も違和感を感じていました。ですが、二度目でそれは確信へと変わりました」
「何の話ですか?」
「彼女は私の妹です」
「は?」
祠堂は耳を疑った。
「恥ずかしい話ですけど、私は妹の顔に直ぐに気が付けませんでした。だけど、間違いありません。彼女の旧姓は羽村葵です。それが分かったからこそ、私は彼女が悠斗くんの事件に関わっている事を確信しました」
「……それは何故ですか?」
「信じて貰えないと思いますが、灯里ちゃんの家族を殺したのは葵だったんです。あの子は彼女の弟の元也くんと大の仲良しで、あの日も元也くんに会いに行っていました。だけど、夜になっても帰って来ないから心配になって迎えに行くと、あの子は灯里ちゃんの家族を殺していました。私はパニックを起こしました。それで……、それで……、間違った選択をしました……」
彼女は青褪めていた。けれど、祠堂はそれ以上に青褪めていた。
「まさか……」
「……私は妹に自分の服を着せて、帰らせました。そして、警察を呼んだんです」
その言葉に祠堂は天を仰ぎそうになった。
佐伯刑事の発案で過去の事件を洗う事になった時、捜査本部の人間は彼らが調べる事にした事件の捜査資料に目を通している。そして、『岩瀬一家殺害事件』の資料の中で、警察が来た時の彼女はサイズの合わない服を身に着けていたとも書いてあった事を思い出した。
「警察の取り調べを受けて、私は迷いました。このままだと逮捕されてしまう。だけど、真実を言えば妹が捕まってしまう。取り調べは子供の頃の私にとって、とても辛く苦しいものでしたから、妹に同じ思いをさせたくないと思ってしまったんです……」
「……だから、庇ってしまったんですか?」
「はい……」
祠堂はうめき声を上げそうになった。
「それが手塚……いや、羽村葵にとっての誤った成功体験になってしまったわけですね」
「……はい」
殺人を犯しながら、姉が罪を被る事で裁きから逃れる事が出来た。
あの事件では被害者の死体を犯人が弄んだ形跡があると資料に書いてあった。
「……なんて事をしてくれたんだ」
言わずにはいられなかった。
妹の罪を姉が被る。一見すると美談にも思えてしまうが、とんでもない事だ。
葵はその1件で殺人の成功体験と共に、罪を他人に擦り付ける事を覚えてしまった。だからこそ、彼女はゲーム・メーカーになったのだろう。他者を操り、人を殺す。そういう怪物になったのだ。
「すべて、私のせいです。私が間違えたから……」
「……ああ、だけど」
祠堂は首を横に振った。
「我々も間違えた」
捕まえるべき人間を捕まえず、捕まえるべきではない人間を捕まえてしまった。
あってはならない事だ。
それこそがゲーム・メーカーという『殺人鬼が生まれる理由』となった。
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