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執筆者の写真雪女 雪代

第一話『殺された弟』

第一話『殺された少年』


 わたしは人でなしだ。みんなは『そんな事ないよ』と言ってくれるけれど、わたし自身は分かっている。だって、わたしは弟が死んだ事を悲しむ事が出来なかった。


「……わたし、ゆうちゃんの事を好きじゃなかったのかな?」

「バカ言うな。そんな筈ないだろ」

「だって、涙が出て来ないんだよ? 映画で家族を失った人を見た時は泣けたのに、今は全然泣けないの……」

「感情が追いついてないだけだ! あんな……」


 浩介は息が出来なくなったかのように口をパクパクさせている。目尻には涙が溜まっていて、とても悲しそうだ。

 彼とわたしは幼稚園に入学する前からの友達だった。ゆうちゃんも彼を『こうちゃん』と慕っていた。むしろ、わたしよりも仲が良かったと思う。

 ゆうちゃんの御葬式の日、浩介は棺桶に縋り付いて泣いていた。その姿を見ているからこそ、自分がより一層薄情な人間に思えた。


「……まだ、犯人は分かってないんだよな?」

「警察の人は捜査中って言ってた」

「そっか……」


 犯人。日常でその言葉を使う事は中々ない。だけど、最近は毎日耳にしているし、時々はわたしの口からも飛び出ている。随分と身近な言葉になってしまった。

 わたしは俯いたままの顔を必死に持ち上げた。すると、視界にゆうちゃんの遺影が映り込んで来た。少し前、家族で海に行った時に撮影した写真だ。初めての海にゆうちゃんは大はしゃぎだった。


 ―――― ねえちゃん! しょっぱいぜ!


 浩介を真似て、だぜだぜ言い出したのもつい最近の話だ。この時はまだ自分をボクと呼んでいたけれど、いつかは浩介みたいに自分をオレと呼ぶ日も来る筈だった。

 しょっぱいしょっぱい言いながら海水を舐めるゆうちゃんに『体に悪いから舐めちゃダメ!』と叱りつけたけど、ゆうちゃんは『うっせー、ブース!』と生意気な事を言って来た。それも浩介の影響だ。わたしは一緒に来ていた浩介の頭を両手の拳でグリグリした。愛すべき国民的アニメで覚えたお仕置き方法だ。


 ―――― ねえちゃん、やきそばちょうだい!


 自分の分のたこ焼きをしっかり平らげておきながら、わたしのやきそばまで取り上げようとする食欲魔神に紅生姜の美味しさを教えてあげようとしたけれど、ゆうちゃんは紅生姜だけ残して紙皿を返して来た。紅生姜をつまみながら、『この美味しさが分からないとはまだまだお子ちゃまだなぁ』としみじみ思ったものだ。 


「……なあ、少し出掛けないか? 外の空気を吸った方がいいと思うんだ」

「面倒くさいからいいよ。そろそろ夕飯の時間だし、浩介は家に帰ったら?」

「まだ、腹減ってない」


 嘘吐きだ。さっきから、何度もお腹からくーくー音が鳴っている。

 

「お前こそ、腹減ってるんじゃないか? おばさん、カレー作ってたぜ。温め直して来てやるよ」

「……ゆうちゃん、いっぱいおかわりするから、わたしは後でいいよ」

「悠斗は二杯目でいつもお腹いっぱいになってただろ! おばさん、たっぷり作ってたから大丈夫だ! ゆ、悠斗の分もちゃんとあるんだからさ……」

「……もう、帰って」


 泣けない。だけど、胸の中がグルグルして、すごく気持ち悪い。

 一人になりたい。苦しい。


「蘭子……」


 わたしはまた俯いた。組んだ腕に顔を押し付けると真っ暗闇の向こうにゆうちゃんがいる。カレーが大好きなゆうちゃん。今は甘口しか食べられないけど、辛口が食べられるようになったら、近所のインドカレー屋さんに連れて行こうとママと話していた。あそこは絶品なんだけど、甘口という概念がない。バターチキンカレーでさえピリ辛なのだ。辛さは正義だとカタコトの日本語で言い張る店主に甘口を要求する事は出来なかった。

 

 ―――― ねえちゃん。


 浩介が喋らなくなるとゆうちゃんの声が聞こえて来る。

 姉ちゃんじゃなくて、お姉ちゃんと呼びなさいと何度も言っているのに、中々『お』を付けてくれないゆうちゃん。ほっぺがぷにぷに柔らかいゆうちゃん。

 

 ―――― ねえちゃん……。


 ゆうちゃんの声が震えている。どうしたんだろう? 今にも泣きそうだ。わたしは反射的に顔を上げた。

 うっかり、遺影の下に置かれている骨壺を視界に入れてしまった。

 途端に息が荒くなっていく。


「ら、蘭子! しっかりしろ!」


 息が苦しい。あの骨壺を見ると、頭が痛む。


 ―――― ねえちゃん……。


 何かに急かされているような気分になる。脂汗が滲んでくる。


 ―――― ボクのからだ、どこ?


 ゆうちゃんがそう問い掛けて来た。その瞬間、けたたましい音が鼓膜を揺さぶった。

 あまりの|煩《うるさ》さに意識が飛びそうになる。

 黙って欲しい。静かにして欲しい。だけど、音は鳴り止まない。


「蘭子!」


 頬に衝撃が走った。すると、音が急に止んだ。


「……蘭子」


 浩介は涙を流していた。

 音はわたしの声だった。


「……浩介」


 わたしは浩介に問い掛けた。


「ゆうちゃんの体、どこにあるの……?」

「……分からない」


 あの骨壺にはゆうちゃんの遺骨が入っている。だけど、それは頭蓋骨の分だけだった。

 死体が発見された時、そこにあったのはゆうちゃんの頭部だけだったから……。

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